ケンジ
いつか書きたかったこと・・・。
私には、仲のよかった後輩がいました。
大学時代のパラグライダーのサークルで、学年が一つ下の後輩。
年齢は2つ離れているのですが、体が大きく、私よりも精神的にしっかりしています。
友達のような感覚で、長野県白馬ではパラグライダーやスキーのバイトを一緒にやっていました。
彼を「ケンジ、ケンジ」と呼び、、ケンジからは「ソエさん、ソエちゃん」と言われていました。
そのケンジが亡くなって、もう12年になります。
今でも、12年前をよく覚えています。
午後7時ごろ、会社に友人から電話がきて、ケンジが死んだと聞きました。
体調を崩していたのは知っていたけど、死ぬなんて・・・。
ただただ、ビックリしました。
力が抜けました。
当時の私は修行中の身で、確定申告の超繁忙期ということもあり、浜松でのお通夜にも行けませんでした。
本当に申し訳なかった・・・。
今でも行かなかったことを後悔しています。
ケンジは、ある大手企業に就職しました。
朝から晩まで休みなく働いて体調を崩しました。
仕事に真面目だったので、力を抜くことができなかったと聞きました。
会社から労災を認められ、田舎(浜松)に帰り静養をしました。
でも、なんと、今度は若くして癌に侵されました。
亡くなった翌年、友人たちと浜松にお墓参りに行きました。
その際、お母さんとお話しすることができました。
お母さんから聞いた話は、ケンジの人柄がとてもあらわれていました。
一生、私の頭から離れることはないでしょう。
それは、ケンジが、危篤状態になったときのこと。
お母さんはずっとケンジに付き添っていました。
ケンジは一端目を覚まし、お母さんに話したそうです。
「今、夢を見ていたよ。
あっちの世界は綺麗で、とても楽しそうなところだった。
だから、お母さん、僕が死んでも、悲しまないでいいよ。
何も心配いらないよ・・・」
その言葉を聞いて、お母さんは安心したそうです。
最期まで優しい子供だったと話していました。
お母さんの腕のなかで、ケンジの生涯が閉じました。
ケンジの死は、今だに信じられないです。
何か、身近にいるような気がします。
少なくとも、確実に私の中では生きています。
友人達も、同じ思いでしょう。
私は何か苦しいことがあると、ケンジだったらどうするか考える時があります。
結局、ケンジなら、精一杯やって、投げださないでいる!
「ソエさんは、適当に力を抜くからさ、もう少しだけ前向きに頑張ってみたら・・・」
いつも、そんな風に言われるのだろうなと考えます。
そうすると、頑張れます。
私が税理士になれたのも、ケンジのおかげと感じます。
19年前にもらったケンジからの年賀状。
パラグライダーになぞった内容です。
私は、平成2年に、パラグライダーで落下しました。
背骨を折り、2ケ月ほど寝たきり生活になった翌正月にもらいました。
この年賀状は、ずっとしまってあります。
今では、私の宝物です。
そえじまっさお