2018年11月11日11時11分11秒に乾杯!でカープ3連覇を祝してビールかけが可部大文字会主催で昨年に続き開催されました。

 

 地元の体協会長の依頼を受けて回覧と役員会で参加を呼びかけました。

 

 私は山陰出身であり、野球とは縁が無かったため全くカープの事は解りませんし、ましてや、ファンでも身内でもないのにビールかけに参加で自治会長として紹介されて挨拶?

 

11月だよ!

 

寒いよ!

 

パワハラだよ!

 

庶民は発泡酒なのにビールかけ!

 

飲み物を無駄にするな!

 

最後までいろいろ考えてしまいました。

 

結論は!

 

 寒くはない! パワハラではない! セクハラでもない! 無駄ではない!

カープ愛があれば!全てがOK!か?

 

  思い起こせば、私は1975年、カープ誕生26年目にして初優勝の年に広島にご縁をいただき、社会人生活がスタートしました。

 

 当時配属先が決まるまでの訓練施設のグランドで赤い帽子とユニフォームで練習をしている選手を見かけたので見に行ったことがあります。 

 

 「草野球の投手にしては早い球を投げるな-」と全く野球に興味のない私でも驚いたことを記憶しています。

 

 技能訓練は、本来短期集中の厳格な技能習得の厳しい訓練なのですが、何かのきっかけでカープの話になると、厳しい主任教官ですら熱中してしまい、授業どころではなかった事を思い出します。

 

 職場に配属され18歳で社会人としての生活をスタートしましたが、地元球団の勝敗に、朝から一喜一憂し、感情をあらわに熱狂するカープファンの心理は、嫌ではありませんでしたが私には理解できませんでした。

 

 この度のビールかけの縁を期に、何か感じることがありましたので、思いのままにカープについていろいろと調べてみました。

 

 アメリカGHQの戦後統治の策略とも言われる、スリーS政策の一つがスポーツであり、その代表がプロ野球と言う考えもありますが、実際はすでに戦前から本場アメリカ以上に熱狂的な人気スポーツだったようです。

 

 人類史上もっとも残虐な戦争といわれる第2次世界大戦において、一発の原子爆弾の投下により広島は一瞬で焼け野原と化し終戦を迎えました。 100年草木も生えないと言われた焼け野原の広島の地において、被災わずか4年後の1949年に広島カープという野球チームが、地元有志の熱意を起点として誕生しました。

 

 物とお金が基準ので回っている今の時代の常識では絶対にありえない事ですが、オーナー企業もなく、貧乏、弱小、むちゃくちゃな運営であったにもかかわらず、樽募金など、草の根市民の熱意に支えられながら成長を続けています。

 

 そして世界平和の起点ともいえる、非核不戦の誓いの象徴として姿をとどめる世界遺産原爆ドーム(1996年登録)の地において、カープは戦後復興の象徴として誕生し、成長し、勝利するという奇跡の連覇を現在も続けています。

 

  カープには、都市伝説的な不思議物語がいろいろあるようですので、これからも折に触れて調べて見ようと思います。

 

 ※ カープを知らない私が知った偶然

・カープ初代石本監督の誕生日は11月1日で11月10日が命日だった 

・カープの背番号111は永久欠番だった

・会に向かう途中に、たまたま前の車のナンバーが11-11だったので話のネタに写真を撮っておいたら1111111111と影が写っていたので驚いた ⇒ カープのリーグ10連覇を想像してしまった(笑)

・理事長がここの野球教室に参加した選手は不思議なことに、必ず翌年に大活躍をすると断言されました。名前と成績は忘れました(笑)

 

日本において勝利の象徴として代々口伝で伝わるば桃太郎である、巨人、大鵬、卵焼きよりも、やはり桃から生まれた桃太郎なのだ。

 

 カープが勝利する事には何か日本においては、必然たる真理があるのではないのだろうか?