ばあちゃんが死んだ
95歳だった
ばあちゃんが死んだ
旅立つ5分前まで元気だった
死んでから改めて気づいた
僕はばあちゃんが大好きだった
ばあちゃんは僕を死ぬ時まで「昌ちゃん」と呼んだ。
ビール腹の34歳になった孫なのに、いつまで経ってもばあちゃんにとっては、可愛いだけの昌ちゃんだった。
完璧な人生だった。
誰にも迷惑をかけず、死んだ後のことも完璧に準備していた。
介護なんて無縁で、ボケることもなく、自分の足で歩き回り、死ぬ日の午前中は自分でタクシーを呼んで行きつけのマッサージに行った。
自分で作った晩御飯を食べ、同居する叔母に「干物は作りすぎたから明日食べるわ」なんて言い残し冷蔵庫にしまい、お風呂の中で急に死んだ。
ばあちゃんが大好きだった爺ちゃんは27年前に死んだ。
だからばあちゃんは、それから27年、ずっと死ぬ準備をしていた。
本人は、お迎えが来るのを楽しみにしていた。
だけど、お正月に家族全員で集まることも楽しみにしていた。
「私がここに来るのは、もう今年が最後ね。」と27年連続で言っているから、オオカミ少年ならぬ、オオカミばあちゃんだ。
ずっといるものだと思っていた。95歳になっているのに、その事をオカンから聞いたときは、本当に純粋な気持ちで「まさか死ぬなんて」と思った。
就職してから地方で暮らしていた昌ちゃんは、4年前に東京に戻ってきた。
すごく近くにいたばあちゃんなのに、いつでも会えるからと、なかなか会いには行かなかった。
「余命わずか」とか「どこどこが病気になって」とか、そんな話の一つでもあればもっともっと会いに行ったのに。
本当に死ぬ5分前まで元気だったから、誰にもお別れの覚悟をさせなかった。
いや、正確には5分前かどうかもわからない。本人も気づかないうちに死んで行ったのかもしれない。
翌日に、仕事を早めに切り上げてばあちゃんの家に行った。
ばあちゃんの家の扉を開けると「あら昌ちゃん。」と優しい声が聞こえてこなかったことが不思議で、目を背けていた「別れ」に急に捕まった気がした。
そして、ばあちゃんは爺ちゃんの仏壇の前で、生きているみたいに死んでいた。
「何を泣いてんだよ、いい大人が」と思ったけれど、その時に流れるばあちゃんとの思い出の前に、溢れ出る涙に抗うすべが全くなくて、すぐにハンカチがびしょびしょになった。
小さい時に手を繋いで行った動物園に差し込む夏の太陽。
少年だった僕があんみつを頬張る姿を見つめる優しい目。
「ママには内緒よ。」と言って買ってもらったたくさんのおもちゃ。
一度も怒られたことはない。
常に優しかった。
孫がたまに出る全国ネットの放送を誰よりも楽しみにしていた。
年齢が進み、どんどん小さくなっていく背中だったけれど、やっぱりその背中は常に優しさが滲み出ていた。
27年死ぬ準備をしていたから「私のお葬式に呼ぶ人リスト」なるものがあったが、残念ながら、リストに記載されたほとんどの方は鬼籍に入っていた。だから、小さなお堂で家族だけで送り出した。
自分の遺影もちゃんと準備していた。だけど、準備してからあまりにも生きすぎた。遺影の中で微笑むばあちゃんは、僕がまだ青年だった時の、まだシワシワじゃなく、背中も小さくなっていないばあちゃんだったことで、また涙が溢れてきた。
そして「久しぶりにおじいちゃんに会うから、この服を着させてちょうだい。」と言い残していた、一番お気に入りの紺色のセットアップがとても似合っていて、なんだかデートに浮き足立つ少女みたいだった。
「おばあちゃんの孫に生まれてよかったよ。」と言いながら、棺が閉まる最後の瞬間にばあちゃんの顔の横に花を置いた。
なんだか笑っているように見えたのは、きっと気のせいじゃない気がする。
生きた。
生きて生きて生きて、十分生きた。
かっこよかった。呆れるくらいにかっこいい最後だった。
もちろん、お別れは寂しかったけれど、それよりも「お疲れ様。かっこよかったよ。」の気持ちの方が強かった。
もしも、旅立つ日が1日でもずれたら、僕はモンテのホーム開幕戦があって、最後のお別れは言えなかった。
そこもかっこよかった。
ばあちゃんは骨になり、僕はその足で山形に向かった。
開幕戦の天童の空があれだけ綺麗だったのは、久しぶりに会ったおじいちゃんと手を繋ぎながら、可愛い可愛い昌ちゃんが、大好きなマイクを持つ仕事をする姿を見やすいようにするためだったかもしれない。
ばあちゃんが死んだ。
とにかく優しかった。
ばあちゃんが死んだ。
嘘みたいにカッコよく、その生涯を生き抜いた。
そして、この話をロケット団という漫才コンビをやっている三浦昌朗という友達にしたら「俺、そういう家族の話ダメなんだって。」と寿司屋で号泣していた。
やっぱりこの人いい人だなと思った夜に、彼の生まれたばかりの息子を抱きながら、こうやって命は続いていくんだなと思った。
ばあちゃんが死んだ。
大好きなばあちゃんだった。
世界一のばあちゃんだった。
今年の正月も例年通り、家族で集まった。
毎年恒例の「私はここに来るのは今年が最後」と宣言をしていたが、今年も誰もまに受けなかった。
なのに帰り際に、僕は姉とばあちゃんを挟んで写真を撮ることにした。
なぜそうしたのかは分からない。だけど、細くなったばあちゃんに、おじさんとおばさんになった孫たちがぎゅっとくっついて写真を撮った。
「幸せなおばあちゃんだわ、本当に私は。」と嬉しそうに言った言葉が最後だった。
ばあちゃんの孫に生まれたことはとてもとても幸せなことだ。
これからは空の上から見守っていてね、なんて言わない。今は大好きな爺ちゃんと、積もりに積もった20年分の土産話を存分に楽しんでくれ。
ばあちゃんの栗きんとんより美味しい食べ物は、これからもこの世界には生まれない。
ありがとう。ばあちゃん。
ありがとう。世界一のばあちゃん。
ばあちゃんの孫に生まれたことはとてもとても幸せなことだ。