前半は調子が悪い

だけど後半で巻き返し、最後に掴みかけた昇格は手から落ちる乾いた砂のように

するっとその場にとどまらない。

翌年、またチームを作り直し、前半は調子が悪い。

だけど後半で巻き返し、最後に掴みかけた昇格は手から落ちる乾いた砂のように

するするっとその場にとどまらない。

 

ところが今年はどうだった。

今年はチームを作り直す必要がない。

昨年の戦力がほとんど残留してくれた。

毎年言われていた「山形は前半さえ良ければ昇格しているのに」

この言葉に飛び蹴りしてやりたい感情を、今年は味わう必要がない。

キックオフイベントを行い、開幕を待ち侘びた私たちの元にやってきたJリーグのある週末。モンテのある週末。

最高じゃないの、素晴らしいじゃないの。

しかし、浮き足立つ私のもとにやってきたのは、憤りとため息が交錯する、満場一致のストレスが塗り込まれた週末だった。

これまでの経験を踏まえ、開幕2連勝したところで私は絶対に喜ばないと決めていたが、開幕から3連敗してくれとは言っていない。

我々を嘲笑うかのように勝ち点が逃げていく。掴みかけると動き出す綿毛のように。

 

私はモンテディオ山形スタジアムD Jという、光栄至極、身に余る職業をさせてはいただいているが、考えれば考えるほど、そもそも大前提がモンテディオ山形サポーターなのである。

仕事は仕事だから勝敗なんてどっちでもいい、とは、どうやっても思えない。純粋に勝ちたくて勝ちたくてしょうがない。昇格を何よりも望んでいる。

だから、山形が負けようもんなら、体調が悪い。やる気が出ない。

多分、皆様よりも怒っている。D A Z N組の時は「ふざけんなよ!」じゃない。「ざっけんなよ!」と叫んでる。

だけど、山田拓巳がやらかそうもんなら、いや結構今季もやらかしているんだけど、そうなると、なんとかして守ってやれないかとも考えてしまう。

モンテが中心。モンテを愛している。

だからこそ「優勝・昇格」という目標を掲げたチームに対して思うことの目線は皆様と変わらない。

 

 

 

話が違うじゃないか、と真剣に思っている。

 

 

 

呆れる人がいることも、応援をやめようと思う人がいることも当然だと思う。

第三者から見たら、千葉サポーターと山形サポーター、今年はどちらが楽しいですか?と聞かれて、山形サポーターです、とお答えになる人はいない。

引き分けが敗戦へ、勝利が引き分けに退化するラスト数分を何度も見せられて、山形サポーターが羨ましいと思う人などいない。

当然の憤り、当然の嘆き。

だけど、それでも考えなくてはいけないことがあるのかなと思う。

 

 

 

 

山形ってどんな土地だろうか。

私は、今でこそ東京で暮らし、東京を拠点に生活している。

しかし、山形で生活をしていた過去を持ち、今でも2週間に1度山形に向かう。

良いところだ。最高だよ山形。

空気は美味しい。水は澄み、人の優しさに溢れている。コンビニの数くらいラーメン屋さんがあるのに、その全てが美味しいとはどういうことかと思う。

もっと伝わればいいのに、と真剣に思う。

良いところだ。最高だよ山形。

 

だけど、他の目から見た山形はどうだろうか?

違う土地に暮らす人が、今の山形に何を思うだろうか。

色々な感情は抱くと思うけれど「山形熱いよね!山形元気だよね!」と言ってくれる人が少ないのが現状だと思う。

そもそもそんな地方都市を今の日本に探すのは難しいのかもしれないけれど、人口は100万人を切り、雪若丸が違う意味で有名になってしまった今、山形が元気のある都市だと認識をしてくれている人が多いとは到底思えない。

伝わらないもどかしさ。私にとっては心の故郷、心の安定剤。日本という場所に山形より素晴らしい場所があるとも、私は到底思えない。

 

 

だけど、どうだろうか、N Dソフトスタジアム山形は。

モンテの旗印の元に集う、青白のサポーターが溢れる空間は。

 

声を届け、声を枯らし、拳握り、拳掲げる。

まさにその空間は「山形熱いよね!」という表現がぴたりとハマる、熱い思いの交錯する場所。

人口減少。そんなことは関係ない。サポーターは増えている。

消滅可能性都市。仮定の話など何がおもしろい。青白の声援はそんなネガティブキャンペーンを跳ね返す。

 

確かにビッククラブではないのだろう。だけど、私たちの心の中に唯一鎮座する唯一無二のクラブなんだ。

 

県民の誇り、県民の癒し。

もちろん「今の勝敗でも満足しましょうよ、皆様」なんて言うつもりは全くない。もう一度言うが、私も盛大に「話が違うぞ!」と憤っている。

だけど、それでも考えなくてはいけないことがあるのかなと思う。

 

 

 

 

モンテの試合がある日の朝ってどうだろうか。

なんかワクワクしてソワソワする。

順位表を眺め、勝手に勝ち点に3を追加して、今日という日が終わった後の順位表を妄想する。

ここがこことやるなら、多分こうなるから、こことここを抜かして、よし今日勝てば何位だ!と世界の中心で勝手に愛を叫びだすほど身勝手だけど、絶対に誰も傷つけていない妄想を繰り広げている。

こんなことって他にあるだろうか。

私は思う。こんなことって他にはないんだ。

 

モンテって自分にとってなんだろうか。

モンテに出会えていない人生って豊かだっただろうか。

負けたら嫌いで、勝ったら好きなのだろうか。

終わりのない自問自答の果てにたどり着くのはいつも同じ答え。

「モンテがない日常など私にはない。その楽しみをくれていることに対する恩返しが応援なら、それに直向きに、それに貪欲に」

 

今は順位表を見るのも嫌だ。

周りが羨ましいと思うこともある。

東京在住だ。山形よりも、千葉と大宮の方がどれだけ近いか。

だけど、やっぱり、絶対に。

モンテが好きなんだ。大好きなんだ。

叫び出したくなるくらいに大好きなんだ。

 

だから、もう一度。

信じることに疲れそうになった時には、モンテのない日常の、色彩にかけた時間を思い描いてみる。

嫌だ。ただ純粋に、嫌だ。

だから応援するしかない。

勝ってくれと願うしかない。

共に夢を見たい。みんなで見たい。

 

諦めるのは可能性が0になるまでとっておきたい。

映画も小説も料理も、誰かが決めた結末を楽しむだけだ。

だけどモンテは、俺たちで結末を決められる。

溢れ出したくなる感情の居場所がない毎日だけど、きっとそれは勝利の歌が響く場所に帰っていく。

これは今、皆様も共に信じましょう!と伝えたいわけじゃない。

だけど、誰に頼まれたわけでもない決意表明をする。

私は絶対に諦めない。

 

好きだから。そして、これだけ負けているのに、やっぱり次の試合が楽しみだから。

必ず勝とう、藤枝に。

そしてその先には「負けられない」ではない「負けてはいけない」相手が待っている。

共にリスペクトを持ち、絶対に響かせようじゃないか、俺たちの勝利の歌を。

 

必ず勝とう。

そのために自分にできることがただ一つだけあるのだとすれば、それを貪欲に。

歯を食いしばり、拳握りしめて、普段はしない神頼みだって恥もせず。

なんでもいい。勝とう、必ず。

 

信じるぞ、やめないぞ。

だって私は、モンテがある日常が大好きなんだ。

2011年3月11日

あの日に散った命に敬意を払い、思いを馳せる

 

 

 

私は2011年を、どこにでもいる普通の大学3年生として過ごしていた

青春の価値を理解せず、のちにそのありがたみを感じることになるとは露知らず。

寝ていられる日はいつまでも寝て、時間の価値を見つめることはしていなかった。

 

だからその日も午後2時46分を寝巻きでも着て過ごしていたと記憶している。

東京にいた私も感じた、経験のない揺れ。本能的に恐怖に追いつかれ、テレビの中でワイドショーのアナウンサーが絶叫していた。

とんでもないことになった。世間知らずの21歳でも分かる緊急事態。しかし、私は当時レンタカー屋さんでバイトしていて、その日も17時からシフトが入っていた。とりあえず原付にまたがりバイトに向かおうと走り出すと、街には車が溢れている。

普段は車なんて通らない裏道にも渋滞ができ、これは自転車で来れば良かったなとすぐに後悔をした。

通常は10分で着く道のりが原付でも1時間かかり、なんとかして店に到着すると広がっていた異様な光景。レンタカー屋の店内なんて普段は静かなものだが、車を貸してほしいと言うお客様で溢れている。電車もバスも止まっている。タクシーも捕まらない。だから、藁にもすがる思いで、車を借りにきた人たちが溢れている。

しかし、貸している車が全く帰ってこない。だから、そもそも予約が入っている次のお客様にすら貸すことができない。

「予約していたはずじゃないか!」

「家族と連絡がつかないからなんとかして帰らなきゃいけないんだ!」

「小さい子供が一人で留守番しているんです!」

悲鳴のような声が響くが、本当に何もすることができない。

駐車場に停まっていた乗用車、商業車はもちろん、2トントラックの冷凍車や、障害のある方向けの車、積載車まで全て貸し出した。それでも足りずに「お金を払うからお兄さんのバイクを貸してくれないか」と真剣に頼まれたりもした。

東京でも、この状態。

時間の経過で少しずつ街は落ち着きを取り戻していったが、ガソリンが手に入るまで時間はかかり、コンビニの商品棚は何日経っても空のままだった。

 

だけど私の日常はそこまで変化しなかった。

大学3年生。普通の大学3年生は就職活動真っ只中。

しかし、私はその普通だけは生きていなかった。

 

「アナウンサー」この職業を夢見て、私はその職業以外に就く選択肢など全く持ち合わせていなかった。そして、当時のアナウンサーの就職試験は、大学3年生になってすぐに在京キー局から試験が始まり、次に準キー局、そして地方ローカル局という順番で続いていく。

東京生まれ東京育ち。生粋のフジテレビっ子。テレビのリモコンは電源を入れるだけで、あとはずっと8チャンネルが流れている。だから私は、フジテレビのアナウンサーになる以外の選択肢を持ち合わせていなかった。

しかし、世の中そんなに甘いもんじゃない。大学3年の初め。私はフジテレビのアナウンサー試験に挑み、綺麗さっぱり落とされた。ありがたいことに、ここの局ならアナウンサーになれます、というお話もいただいたりしたのだが、東京生まれ東京育ち。今から思えばなんと生意気、猛省をした上で記すと、私は在京キー局以外テレビ局じゃないと思っていた。

そこで私は考えた。そして閃いた。親に内緒で必修の単位を落とし留年して、最後1年間の学費はバイトを必死にして貯めて、もう一度フジテレビのアナウンサー試験を受けようと思っていた。

そのくらい、もう一年やればフジテレビのアナウンサーになれるという根拠のない自信に支配されていた。

だから、周りの友人の焦りに一切の共感ができない。しかし、友人たちは、それはそれは大変そうだった。希望している業界なんて贅沢なことを言っていられない。内定をもらえるならどこでもいいからと、とにかくエントリーシートを書いて書いての日々。昨日まであったはずの求人が、震災の影響で次の日には消えている。採用するはずだった人数がどんどん少なくなる。ただでさえ買い手市場だった就活相場だが、加速度的に超氷河期に変わっていく。

だけど、私は「みんな大変そうだな」としか思っていなかった。

なぜなら、自分はフジテレビのアナウンサーに来年なると信じているから「みんな大変そうだな」としか思っていなかった。

ここまで読んで、皆様も思うと思う。私もそろそろ限界だ。だから言おう。なんて馬鹿なやつだ。

だけど、若さとは愚かなもので儚いもの。そんな私はテレビを見てみると、福島県相馬市で県外ボランティア受付が開始されるというニュースが報じられていた。

もちろん、一人の日本を愛する生粋の日本人として何か力になれるなら、と思ったことも事実。しかし、やることもないし、実際にニュースの現場がどうなっているのかを見てみたかったと思ったのも、正直に話せば事実だった。

私は迷わず東北道をひた走り、福島県相馬市に入った。

 

そこからのことは、今思い出しても私の心を掻き乱す。

そこからのことが、今思い返しても私の人生を変えた。

 

瓦礫の街。腐臭の街。

空は青いはずなのに、なぜかモノクロの世界に感じられ、幸せの反対側に押し出され気配が街全体を支配していた。海岸沿いを歩くと皮肉なくらいに海は青々としていて、そこから押し寄せた波が多くの人を飲み込んだ事実が信じられなかったが、振り向けば瓦礫に覆われた街がその事実を押し付けてくる。

私が福島に入った時は、ボランティア受付を開始はしたが、レギュレーションなんてあったものではなかった。県外ボランティアに何をさせればいいのか、正直まだ誰もわかっていなかったのだ。

それ故に私は、本来であれば、心が丈夫ではない素人が見るべきではなかった光景をたくさん目にしてしまった。

 

たくさんの人の人生が終わっていた。

終わる覚悟のない人生が終わっていた。

私と同じくらいしか生きていない人生が終わっていた。

 

たくさん泣いて、泣いて、懸命に泥をかき分けて、自分は何のためにこの場所に来たのかを忘れながら、また泣いて、泣いて、泥をかき分けた。

そうやってかき分けた瓦礫の間から私は一つの疑問を見つけ、それはどんどん私の中で膨らみ、ついぞや目を背けられなくなる。

「ここからの一年を私はどう使う?」

世間知らずの、判で押したような量産型大学3年生は、東北の地で命と向き合い、命には終わりがあるという普遍的な意味を見せつけられて東京に戻った。気の抜けた日常。テレビに流れる津波の映像が怖くて見られなくなっていた。

誰にでも明日死ぬ可能性はある、という何となく他人事な事実だったはずの死が、あの街には溢れていた。そのことを思い返すと、また瓦礫の間から見つけた疑問が頭を支配する。「ここからの一年を私はどう使う?」その疑問と向き合いながら新聞を読んでいると一つの記事が目に留まった。

「個人向け国債で調達された資金を全て復興のための原資とするため、個人向け復興国債と名前を変えて売り出す」こんなことが書いてあったと思う。

国債とは要するに、国にお金を貸してあげる代わりに、国からお礼として金利を貰うための権利の証明書みたいなものだ。その証明書を個人が貯蓄として購入できるから個人向け国債。それで集まった資金を全部復興のための原資とするから個人向け復興国債。そして、この国債を買いたい人は、銀行、郵便局、証券会社で買えるらしい。

すぐに就活サイトを見る。銀行の採用などとっくに終わっている。郵便局も同様。しかし、日本で3番目に大きな証券会社が、まだ少ない採用枠で追加募集をしていた。

これだ。これだ。うん、これだ。私は履歴書と向き合った。

日本で3番目に大きな証券会社の面接に行き「私はアナウンサーになることしか考えていませんでした。しかし、東北に行って、その考えを変えて帰ってきました。個人向け復興国債を売って、売って、売りまくりますので、私を採用してください。あの日に終わってしまった人生に向き合う方法は何かを考えた結果、そう考えたんです。私を採用した方がいいと思います」と、半ば絶叫に近い思いを伝えた。今考えても、怪物級のバカだ。だけど、その証券会社は、なぜか私を採用してくれた。

かくして、私はアナウンサーになるはずだったが証券会社に入る。当時の証券会社なんて、まだ軍隊。もちろん今は違うと思うが、数字が作れないなら帰ってくるな!の世界。しかし自分で言うのも憚られるが、私、喋りは人より上手だ。だから成績も良かった。何度も表彰され、日々脱落していく同期の中でも生き残っていた。

入社から5年。このままだともしかしたら結構出世しちゃうかもしれない。そんなことを思っていたが、ここでまた燻る思い。人生一度きり。日々の数字に急に疲れる時がやってくる。「ここからの一年を私はどう使う?」

そんな時に運命とは巡るもので、さくらんぼテレビにアナウンサーの採用枠があることを、ひょんな理由で知ることになる。それまで、中途でアナウンサーになれる道があるなんて考えたこともなかった。ましてや、もう一度アナウンサーを目指すことなど一度も考えなかった。

「さくらんぼテレビ」なんとふざけた名前。

「山形」行ったこともないし、行こうと思ったこともない。今じゃ考えられないが、その時の私は確かにそう思ったことを覚えている。

だけど、応募資格は28歳まで。経験不問とある。当時の私は26歳。人生一度きり。

キー局以外はテレビじゃないと生意気をぬかし、当時誘ってくれたテレビ局を断った男がダメ元で応募をしてみた。もちろん証券マンをやっている5年の中で、唯一書いたエントリーシート。ダメで元々。何も期待しないで待っていた。何なら送ったことも忘れていた気がする。そんな時に、書類通りましたので山形で面接があります、と連絡がきた。

人生で一度くらい山形に行ってみるのも悪くない。当時の勤務地、大阪から飛行機に乗り、山形に上陸し、私は面接を受けた。

しかし、ダメで元々。証券マンとして約束をされている生活もあるし、くらいに思っていたのに、1次面接を終えた時にはアナウンサーになりたいという夢が爆発しそうになっていた。どうしてもなりたい。このチャンスを逃したら人生が変わらない。

そして臨んだ最終面接。面接の終わりに面接官の社長から「最後に何かありますか?」と優しい笑顔で問いかけられ「もしもアナウンサーとしてダメでも、そうしたら営業マンとしては絶対に力になれると約束しますので、何とか採用をしていただけないでしょうか!」と、手がつけられない怪物級のバカ丸出しで懇願をした。

最初に私を拾ってくれた証券会社もさくらんぼテレビも本当に広い心だ。

山形の市外局番から電話があり「白橋さんをアナウンサーとして採用することが決まりました」と言われた時は、本当に涙が出るくらいに嬉しかった。

それからの日々は、もちろん辛いこともたくさんあった。怒られることもたくさんあった。しかし、怒られる理由は全部自分が悪かったし、できないなら怒られるのも当然だ。

そして、何よりも日々が本当楽しかった。

最高の仲間がいて、最高の相方がいて、番組も任せてもらえて、私は夢を叶えた。テレビカメラの前でしゃべっている時間の全てで私は幸せを噛み締めていた。喋るって楽しい。私に唯一与えられた才能を生業にできている。夢が叶った。

その後、家業を継がなくてはならなくなる経緯は省略するが、これだけは言いたい。私はさくらんぼテレビを辞めたくなかった。だって楽しかったから。毎日が文化祭の前夜みたいだった。

 

人生とは不思議なものだ。さくらんぼテレビに入社していなかったら、絶対に私にとって山形が特別になることはない。そして、今生活の中心になっている推しのサッカークラブに出会えることはない。そして、そのクラブのためにマイクを握る時間があるから、今の人生が愛おしいと思える感情も、絶対にない。

 

人生とは不思議なものだ。東日本大震災は多くの人の人生を変えた。私の人生も少しだけ変わった。もしも東日本大震災が起きていなかったら、もしかしたら本当に私はフジテレビのアナウンサーになっていたかもしれない。今のフジテレビの窮状を救っていたかもしれない。T B Sの安住、フジの白橋だったかもしれない。ここまでくると妄想が行きすぎておめでたいなと自分でも思うが、たらればをつければ日本語は無限大に優しくなれる。

しかし、多分、皆様の予想通り、しょうもない人生を生きていたと思う。

 

人生とは不思議なものだ。県外ボランティア受付が始まったと知って、大した考えもなくあの日の私は東北道をひた走った。そして私は今、大好きな喋る仕事を、大好きなチームのためにするために、同じ道を走って山形に向かっている。

 

私は今の人生を正直に生きている。愛おしいと思いながら生きている。

あの震災で散った多くの人生が教えてくれたことを忘れていないから。

今日に正直に生きなくてはいけない。今日に全力ならなくてはいけない。

 

あの震災で散った多くの人生を、私たちは代わりに生きさせてもらっているにすぎない。

あの震災で散った多くの人の生きたかった明日を、14年後を、私たちは生きている。

 

だから今日に正直に生きなくてはいけない。そして自分の人生を愛おしいと思わないといけない。

 

2025年3月11日

みちのくを愛する人間として

そして、今を生かされている人間として

あの日に思いを馳せ、祈りを捧げる

それはこれまでも、そしてこれからも

 

白橋 昌磨

2024年12月1日

届かなかった声援。自然に流れた悔し涙。掲げるはずだった拳。

長い月日が経ったようで、まだそれほどまでに遠い記憶でもない気がする。

 

迎えたオフシーズン。

不条理なまでに味気なく、退屈が塊になって押し寄せた。

 

「モンテのある週末」

オフシーズンには、この響きがどれだけに甘美なものだったか。

いよいよ開幕。

待っていたよ、歓喜の週末たちよ。毎年思っているそれとは全く別次元の「今年こそ」の思い。

 

なのになんだよ、とは思う

 

今季は開幕戦が少し良いくらいでは、絶対に調子に乗らないと自分に念を押していた。しかし3連敗。正直に言えば、これは全く想定をしていなかった。

現状の思考の中心には「嘘だろ?」という感情が鎮座し、想定外の憂鬱が月曜日の朝に直撃している。

青白を愛するサポーター全員のもとにも、想定外の悲嘆が訪れていることは想像に難しくない。

 

そんな中で今週末、チームはいよいよ本陣に帰還をする。

 

なぜこのタイミングで、筆を取ったか。

自分可愛さで少しだけ言いたいことがあるとするのならば、私は今、とても忙しい。

言葉を選ばずにいうのであれば「ちょー無理なんですけど、このスケジュール」みたいな感じだ。

家業は今年100年の節目を迎え、新しいビジネスのことも、新年度の予算組のことも、考えなくてはいけないことは、笑ってしまうくらいに多い。

なんなら締切間近の原稿を横に置いている。それはそれでどうかと思う。

だけど、今、筆をとる私が伝えたいことは何か。

一言に集約するのであれば「今週末天童に集いませんか?」これに限る。

 

 

モンテが勝利した週の私の日常。仕事を終えて家に帰り、風呂に入って、氷で一杯になったグラスと焼酎、炭酸水をスタンバイして試合を見返し、毎度同じシーンで興奮し、歓喜し、勝利を喜ぶことが私のルーティン。

しかし、敗戦が確約された90分を何度も過ごせるほどに私のメンタルはまだ成熟していない。あれほどに待ち侘びた開幕を迎えてから、結局、すでに何回見返したか分からない去年の9連勝のダイジェストをまた見返して、儚く消える炭酸の泡のように、モノクロの時間が過ぎている。

 

だからこそ、私は考えてみた。

「なぜモンテを愛するのか」

 

山形が好きだからとか、山田拓巳が素晴らしい友人だからとか、勝った瞬間のスタジアムの空気が忘れられないからとか、色々考えてはみても、要するにそれは小さな視点に過ぎない。

なぜモンテを愛するのか。

それは、モンテをまだ愛していなかった時の日常に戻った時に、それと対峙する勇気がないからだ。

 

試合開始と共に自然に溢れ出すアドレナリン。

負けた瞬間に感じる絶望こそあれど、なのに試合開始と共に、再びまた自然に溢れ出すアドレナリン。

この感情、この感覚。

負けても勝っても結局は同じだけ、私の日常が、普段は使わない色の絵の具で塗り込まれていく。

 

日々抱える、雑多で多種多様なストレス、悩み、葛藤。その日々だけに対峙していたらきっとどこかで限界はやってきて、投げ出したくなるような感情と面談を行わなければいけない局面もあるのかもしれない。

しかし私は、モンテディオ山形というチームが提供してくれる、日常とは一線を画した瞬間により、また日常に帰還をすることができている。

 

だから、3連敗という、あまりにもほろ苦いスタートを切ったチームのサポーターとして「なぜモンテを愛するのか」と自問自答した時に得られる答えは、モンテを愛していないと日常が成り立たないからなのだ。

 

大前提として、勝利を何よりも望んでいることなど、言うまでもない。

しかし、3連敗という現実を必要以上に悲観し、4連敗というリスクに怯え、モンテに背中を向けるのかと言われれば、そもそも私にはそんな選択肢がないのだ。なぜなら、応援ができない方が、負けるよりも遥に辛いから。

 

もちろん、モンテサポーターそれぞれに、チームを愛する理由がある。その全てに不正解などなく、その全てがリスペクトに値するものだ。

その上で、その上で、その上で考えてほしい。

モンテに声援を送れる時間は、他にはない素敵な時間ではないだろうか。

ベットの上に寝そべり、ショート動画を貪る休日も、たまには素敵かもしれない。

モンテを愛してしまったばかりに、わざわざ休みの日に、推しのチームの応援に出かける。もちろん、勝利は約束されず、なんなら今季だけ見れば、負けてしかいない。

だけど、それでも、いや、それだからこそ、私は今、モンテを愛して、モンテに愛されたいと強く思っている。

だって好きだから。大好きだから。

応援は日常で、応援を辞める気はなくて

 

 

そして何より、何より、何より

応援は必ずチームを勝たせる力になると信じているから。

 

 

本当に言葉を選ばずに好きなことだけ書くとすれば、サポーターはチームにとってお客様だ。お金を払って試合を見に行く。そのお金がチームの収入になるのだから、お客様以外の何者でもない。

だけど、これが小説ならどうだろうか?

お金を払って買った小説がつまらなければ、正直に感想を言って良い。いい時間ではなかったなと感想を誰かに話すことも間違えではないのかもしれない。しかし、そこで終わりだ。その意見を受けて、その小説の結末が作り直される可能性は0だ。無いのだ。全くに無いのだ。

 

だけど、これがモンテならどうだろうか?

お金を払って見た試合で負けたなら、敗戦に憤っていい。その権利がある。もちろん誹謗中傷なんて何よりも愚行でしか無いが、敗戦そのものを嘆くことは当たり前の行動だ。

もちろん、その試合の勝敗は変わらないが、その先はどうだろうか。その日勝利を信じて送った声援が、憤りが、次の試合を変えるかもしれない。自分が望んだストーリーの出演者になるかもしれない。

勝つために応援をするのももちろんだが、それだけではない。

「自分も含めて勝ちに行く」のだ。

それがスポーツだ。それがモンテディオ山形だ。

 

ホーム開幕。この言葉だけを受けて、浮き足立てない状況であるのも知っている。ホーム開幕とアウェー水戸、この単語だけはどうも距離を置きたくなる。

だけど、私は声援を送る。

それが私の日常だから。

3連敗には「もっとしっかりやってくれよな!」で良いのだ。

そして勝った時は「俺たちの声援があったからだぞ!」で良いのだと思う。

それは驕りではなく、事実だから。

 

 

一人一人にモンテを愛する理由があると思う。

その全てが素晴らしい。

そして、その思いの数だけ、チームが勝たなくてはいけない理由が増える。

 

今年も個性全開だ。

ちゃんと序盤で調子悪いぞ。

だけど、それを止められるのは、青白を愛するサポーターだ。

3連敗しているから、開幕戦は行くのやめよう、なんて思ってしまったら勿体無い。

そこには感動があり、歓喜があり、その当事者になれるチャンスがある。

 

こんなところで、もう下を向いているのであれば、それまでの思いだ。

文句を言いながら来てもいいと思う。

だって私たちは、今年に入ってから全く約束を守らない恋人とのデートに向かうのだから、文句くらい言って当然だ。

だけど、それでも、愛する想いで結果が変わる。

なんだかんだ許してしまう度量の大きさは、もはやモンテサポになった時に備わっていると言っても良いのだから。

 

 

誰もが勝利の参加者になれる。

色々な思いがあることも分かる。

だけど、だけど、もう一度、信じよう。

 

私たちの2025シーズンは、ようやく今週末、天童で開幕する。

 

あの日の記憶を上書きするために集うんだ。

 

3月9日、ホーム開幕。

枯らせ声を、掲げろ拳を。

 

みちのくの王は俺たちだと証明しよう。