子育てママに「生きづらい」と言わせてしまう不寛容で排他的な社会は変えていかなければならない | 若者と社会をつなぐ支援NPO/ 育て上げネット理事長工藤啓のBlog

子育てママに「生きづらい」と言わせてしまう不寛容で排他的な社会は変えていかなければならない

生きづらいと思ったら 親子で発達障害でした (メディアファクトリーのコミックエッセイ)/KADOKAWA

¥1,080
Amazon.co.jp

漫画レビューサイト、マンガHONZで新しいレビューをあげました。仕事柄、「発達障害」という言葉は日常的に使われていますが、診断を受けているかどうかに関わらず、発達障害を持つお子さんを持つ母親が置かれた状況、社会としての寛容性やサポートの不備、さらには著者ご本人も発達障害であったことなど、本書は発達障害と社会の在り方について非常に示唆に富む一冊です。

子育てママに「生きづらい」と言わせてしまう不寛容で排他的な社会は変えていかなければならない。『生きづらいと思ったら親子で発達障害でした』



(抜粋)


保護者の方々はどのような気持ちなのだろうか。なんとなく周囲と異なることの多いわが子が「発達障害」かもしれないという事実を突きつけられたら。


いま振り返れば、物事が思い通りにいかないと廊下に寝転んで泣き、怒りに任せて物を投げていた小学校のクラスメートがいた。突然、椅子から立ち上がり号泣しながら教室の外へ走って出て行ってしまう同級生も中学にいた。あの当時、彼らは“ちょっと変わった友人”くらいの認識だった。ときどき癇癪を起したり、泣き出したりすることはあるものの、学校生活の一風景のなかにとけ込み、いまとなってはあったような、なかったような程度の記憶だ。


学校であれ、職場であれ、人間関係に悩み、社会生活に生きづらさを抱えている子どもたちや若者に関わっていると、特にこの10年「発達障害」という言葉が頻繁に飛び交うようになったそれまでも特定の専門分野では使われていたが、会長を務めている保育園の保護者会でも会話の中に登場し、高校生や大学生の日常会話でも、一部揶揄的な活用方法を含みながらも、発達障害という表現が使われている。




生きづらいと思ったら親子で発達障害でした1



生きづらいと思ったら親子で発達障害でした2


生きづらいと思ったら親子で発達障害でした3



生きづらいと思ったら親子で発達障害でした4


生きづらいと思ったら親子で発達障害でした5


子育てママに「生きづらい」と言わせてしまう不寛容で排他的な社会は変えていかなければならない。『生きづらいと思ったら親子で発達障害でした』