とかいって、別に他のおうちに子どもが何人いようと完全に自由で、○人いるべきとか一ミリも思ってないんだけど。
この前家の話で試算してた時に、夫が「子どもは1人までだね!」と言っていたので、時間が経ってから再びその話になった時に「本当は2人以上欲しいの?」と聞いてみたところ、「うーん、1人より2人の方が子どもは楽しいかなあと思って」と言っていたんですね。本気ってよりは、なんとなく答えたという雰囲気で。でも現実的には1人だろうなあ、というニュアンスを込めて。
夫は兄弟が多い家で育ったので、楽しかったんでしょうね。今も義実家にお邪魔すると、兄弟だけでバイクの話とかしててめっちゃ楽しそうだし笑
でも私、兄弟いるけど、大人になってからあいつ意外と良いやつだなってものすごくたまに思うけど、子どもの頃ちょっと大変だったし、今も将来的に弟の後見人になるのは姉のあんただからって言われてすごく嫌だし、きょうだいがいて良いかどうかって、私にとっては一生、断言出来る話じゃないような気がする。
特に親世代と話す時、きょうだいがいたら助け合えるじゃなーいって話になるけど、冗談じゃない、いい大人になったら自分のことなんて自分でやってほしい。親も産んでおいて先に産まれた子どもにきょうだいの世話させるってどういうことだよ。
親の介護問題もまずは自分たちで出来るとこまでケリつけてからこっちに助け求めてくれ。
一人で生きるのって無理だから誰かに頼る力も必要だけど、まず身内に頼るって発想、ちょっと違うと思う。
子どもが出来るより前からずっと思ってるけど、一人で何でもしようとせず、誰かに寄りかかるだけではなく、本当は外の人と繋がって生きられるようにすることが大切なんだと思う。
私の仕事もそれがメインな気がする。家族だけじゃなくて、外の世界の人と少しでも多く繋がって生きることを目指す。そういうのが出来るようにお手伝いしていく。
でもそれにはやっぱり身近な人が目の前で出来ているところを見せないと学べないだろうな。
ていうかそれを自分がやってるところを見せないといけない…
手続きで分からないことがあったら公共施設の職員さんに最低限のマナーは守って質問する、わからないことがあったらまずスマホで調べてみる、わからなくて大変・不安という気持ちを知ってくれる人を作る、とかとか…
永田カビさんが著者で引用されてた言葉が、いつもじわじわと効いてくる。
この話に出てくる言葉はとても好きなので、この著書ですら引用されてる言葉だけど、これ読みたさに何度でも読むし思い出すし、自分の日記ですら何回も読む笑
もしも無事に子どもが産まれたなら、そうやって社会と繋がれる人に育てていくことが、きょうだい何人うんぬん問題よりももっと大切なことなんじゃないかと思う、と夫に返したら「うーんまあそっか」と返事してその後はまた家の話になってた。
こいつほんとにわかってんのか…
まあまだ一人の子どもも産まれてない段階ですがね…
ていうか私たちの年収で子ども2人以上育てて家も買うって無理笑
現実的に出来ることと出来ないことがあるっていう話でもある。
そして書いた後に思い出したけど、既に育ちきった大人にもこれが出来て欲しい…
いつか介護を受けるようになった頃も、外の人を受け入れられる人になって欲しい…