昨日旦那さんが南相馬市に向かった。甲子園から一日で南相馬市に行くのは無理なので埼玉の妹夫婦のアパートで一泊して、そこにいる両親を乗せて今日南相馬市に向かう。

一緒にいきたかった。
家はどうなっているのか。
町はどんな感じか。

でも7ヶ月の息子を置いても連れてもいけない。留守番だ。

持ってきてもらいたい物をリストアップしたので旦那さんに頼む。

もちろん物を持ってきてもらいたいけれど、一番に旦那さんに無事に帰ってきてほしい。

気を付けていってきてね。いってらっしゃい。
いつもなら6国と常磐道を南下するが原発で無理なので、飯舘と川俣を通って福島にでて4号線を南下するルートに。ガソリンは約半分。どこまでいけるか。どこで給油できるかだけが心配だった。

職場に置いていた猫が心配になる。私が原町に嫁いで数週間で連れてこられた猫。来たときはまだ小さくて、しかし事故か何かで下半身が立たないし動かない。最初は排泄も自分でできなかった。でも食欲はある。元気もでてきた。前肢は動く。連れてきた人が飼うといっていたが迎えに来なかった。そしていつの間にか看板猫になっていた。私に一番懐いていたからおいていくのが心配だった。次いつ会えるだろう。生きてあえるだろうか…

「ソックス連れていこう」
旦那がそう言ってくれた。「でも車ぎゅうぎゅうだよ?」
「助手席の下あいてるからここなら乗せれるよ」
職場に寄ってもらう。いつもは誰もこない時間。皆びっくりしていた。
「ソックス一緒にいこう」
ニャーっていつものようにないていた。かごにいれて、いつもの食器とフードのサンプルいくつかもった。ソックスはかごに入れられると何事か!?って顔していた。
他にも入院していた犬猫はいた。入院中かわいがっていた皆を置き去りにしていくのがとても後ろめたかった。
「皆ごめんね。…ごめんね。」
病院を出るとき涙がでた。

ソックスをつれて飯舘に通じる峠へ向かう。峠の途中から車が増えてきた。渋滞までは行かないけれど連なっていた。
皆どこかへ逃げるのかな。

飯舘のセブンの駐車場で休憩。店は閉まっていた。時々○○避難所って看板をみた。

川俣あたりから渋滞しはじめた。渋滞で停車している車の中にいるときも緊急地震速報のメールが鳴り響いて怖かった。渋滞するほど人が逃げてるんだなぁと思っていた。
しかしそれは違った。なんとガソリンスタンドがあいていたのだ!光が見えた。これならいける!
ガソリンスタンドまで辿り着いた。20Lしかいれられないと言われたが十分だった。
入れるとほぼ満タンになった。一安心だ。そして関東へ向かった。

途中地震でぼこぼこになった道もあった。栃木で一度給油したら5000円分しかいれられないと言われた。
夜10時頃でて、夜通し走って埼玉の義理の妹のアパートに朝の7時についた。
旦那さん本当に本当にお疲れ様でした。
ありがとう。
晩ご飯を隣の旦那の実家で義理の祖父母、義理の両親、義理の両親と同居の義理の祖父、私達皆で晩ご飯を食べた。この夜は水が少しでるようになった。でも少し赤い水だったから飲めはしなそうだった。

皆でニュース見ながらご飯を食べていると時々余震がきた。正直最初のすごいゆれを体感したので震度3くらいなら慣れっこになっていた。

ご飯を食べおわってニュースをみていた。旦那は外にタバコを吸いにいっていた。するとテレビから
「20キロ圏内避難」
とうとうでてしまった。うちは23キロくらい離れているので避難ではない。しかしなぜ義父が避難しろといったか。6ヶ月の子供が一番心配だからだ。私たちは多少被爆してもいいがこの子には未来がある。なるべく体の障害はないほうがいい。

「もう行ったほうがいいぞ。」
そう義父に言われ、急いで隣の自宅に戻る。旦那に20キロ圏内避難になったと伝える。二人で最後の確認をする。

家を出るとき旦那は泣いていた。
「俺の家……」
そうだよね。二人で一生懸命間取り考えて、2010年7月から住み初めて、9月に息子が産まれて、友達も何人か来てくれて…少しだったけれど思い入れあるよね。

家の鍵をしめた。車は私の乗っていた軽はおいていく。1月に買ったばかりだったのに…。名残惜しかった。

隣の家においていた息子を迎えに行く。行く前に皆に抱っこしてもらった。次いつあえるかわからないから。

義父は泣いていた。毎日毎日孫に会うのを楽しみにしていたからつらいだろう。旦那も泣いていた。職場からもってきたヨードを義父に渡す。
「何かあったら飲めよ!」
義父は3年前の夏に癌が見つかり放射線治療と化学治療をした。だから人よりだいぶ被爆している。もう被爆していい量はだいぶ少ない。それを旦那はとても心配していた。

荷物でぎゅうぎゅうの車に乗り込む。旦那は泣いていた。義理の両親は見送ってくれた。
「安全運転でいくんだぞ!」

そして私達は南相馬市原町区を出発した。旦那は号泣し、息子も何かを感じ取り大泣きしていた。なんともいえない気分だった。