夕方隣の自宅帰る。

お昼ご飯食べてる時時に義父に
「避難区域が20キロになったら息子を連れて避難したほうがいい。」
といわれていた。
一応荷造りをした方がいいと旦那にいわれたから色々考える。
何がいるんだろう。
頭が回らない。
ガソリンが中々手に入らないのはもうニュースでやってたから、すんなり神奈川の実感まで帰れるとは限らない。下手したら避難所泊まりかも。
息子はまだ6ヶ月。避難所とかになったら耐えられるだろうか…。大人だってつらいのに。
とりあえず避難所かもという頭で荷物用意する。
下着、タオル、おむつ、おしりふきとかぬれティッシュとか日用品、水、銀行印、年金手帳、現金等々
途中旦那からメール
「換気扇止めて、窓全部閉めて、貴重品全部用意しておいて。絶対外にでないで。とにかく服いっぱい着ておいて。」



頭がまたパニックになった。どうしよう。どうしよう。どうしたらいいんだろう。

そうこうしているうちに旦那帰宅。不安だったから顔を見たら泣いてしまった。
「大丈夫だから。大丈夫だから。」
っていってもらえて落ち着く。

そこから二人で荷物をまとめ車につむ。ベビーカーが意外と場所とる。

これからどうなっちゃうんだろう。
まずいつもいくツルハへ。普通にあいてる。オムツ、離乳食、カップ麺、ティッシュ、トイペ等普通に買えた。かさばる上息子を抱っこしてたので店員さんが運んでくれた。なんだかすごく申し訳なかった…

次、フレスコキクチへ。店の中は暗くお客が入れはしなかったが、商品を外に並べてうってた。お菓子、パン、お惣菜、飲み物、、、結構色々あった。お弁当が出来次第くるが、来た側からなくなっていった。でもお昼ご飯確保しなきゃだから寒い中お弁当待つ。待ってると見知らぬおばあちゃんも弁当まつ為、昨日の地震の話に。
「国道よりあっちはひどいみたいよ」
どんなんだか気になった。でも海の方はあまり行ったことがなかったから元々どんなだか知らないし、危ないかなと思っていかなかった。まさかテレビでみるような状態とは当時はまだしらなかった…

お弁当をゲットした。ちなみにレジもないから大変だった。値札は値札シールに500とか値段が手書きでかかれて貼られていて、それを読む人と書く人にわかれていた。全部書いたら合計して書いた紙を渡され精算する列へ。二回ならばなきゃで時間かかった。並んでる時も
「うちだめになっちゃった」「○○に避難してる」
とか聞こえてきた。あぁ、うちは家無事だし皆助かったから幸せなんだなって思った。まだこの頃は原発の怖さを知らなかったが…

帰って皆でお昼を食べた。テレビは地震と原発の事を流していた。祖父母はすぐ家に帰れると思っていた。義父が「30年は帰れないよ」といっても信じていなかった。

午後義父と旦那は職場へいったが、義母がいつもなら1時すぎに帰るのに中々帰ってこない。やっと帰ってきたと思ったら3時はすぎていた。

「もぅ患者さんすごくてー。お薬流されちゃった人もいたし、持ってこなかった人もいたからね。」
そっか。避難しなきゃだけど中々薬まで気回らないよな…と実感。
3月12日は土曜日だった。いい天気だったのを覚えている。

義父、旦那は職場へ。義母は薬局へ。

私はまず二中で水がもらえるときき息子を抱っこしながら水をもらいにいく。給水車がきてるのかとワクワクしていったら校庭にはずらりと避難してきた人の車が…給水車はいなかった。うろうろしてたらTUFのクルーとカメラマンがいた。

水はもらえないかとあきらめかけると高校玄関横の水道からおばちゃん水入れとる!これのことか!おばちゃん達の後ろにならんで給水成功。途中おじちゃんとおばちゃんと話す。ここに避難してきたのは渋佐の人と教えてくれた。まだこの時は津波がそんなに凄かったのか把握していなかった。

水もって帰宅して、次はドラッグストアやスーパーに行こうとしたら義理の祖父母がきた。

「なんか避難しろって言われてねぇ」
祖父母の家は小高区。原発が10キロちょいの所なのだがそこも午前のうちに避難になったようだ。

祖父母に家にいてもらい買い物へ。