とりあえずは明るい話題から。switch2の映像が出ましたね。なんかいい感じの映像でしたし、チラッと映ってたマリオカートの映像も良さげでしたな。まぁ詳細は4月のニンダイまで待つとして、いろいろ楽しみが増えましたな。まだまだ生きてんとアカンやつやで。
それはそうと本題だが、…30年経ったんですね。あれから30年。1995年1月17日5時46分に起きた大地震。まだまだ布団の中で寝ていた人も多かった早朝に襲ったマグニチュード7.3の大きな揺れ。その後に神戸を中心に起きたおびただしい被害は日本中や世界中に報じられてとある外国の新聞の見出しには『horror in japan』なんて付けられて報道された。
もっとも、俺は95年と言ったら岡山に越してきて10年になる為、別に被災したとかそういう話ではないのだが、それでも岡山でも震度4のそこそこデカい揺れが来たのでよく覚えている。ちなみに地震が発生した当時起きてました。というのも、当時MBSで放送していた平日夜帯のラジオ番組『チャチャチャQ』というラジオのクイズ番組があって、それをテープに録って、毎朝5時に起きてそのテープ聞きながらそこで出てきた問題をノートに書き起こしてたりしてた(※当時はそんなこともしてたのよw今となってはクイズの為の勉強なんて●んでもやりたくないけどw)、そんなことをしてたら『ん?揺れた?』って思ったら、一気になんか大きく揺れ始めて、しかもベッド横に設置してたテレビ(※アンテナは付けてない。テレビゲーム用。アンテナ付けてない理由は以前にも言ったし長くなるので割愛。)まぁそんなテレビがものすごい不安定な台の上に乗せていた(※テレビ幅の半分ちょい程度の台の上に乗せてたw)ので、とりあえずテレビを横から押さえて揺れが収まったら、居間に行ってオカンに『NHKや!NHK付けてくれ!』って言ってムリクリテレビを付けさせて現場を知って愕然とすることになる。神戸の現状がえらく大変なことになってるらしい。とはいえ、俺も当時サラリーマンとして仕事に行かなきゃならんので通勤の車の中ではラジオ関西を久しぶりに聞いてたのだが、街に出てレポーターが震災の様子を伝えてくれたのだが、『現在●●駅前は通勤者や避難者が入り組んでいt(ボーーーーーーン!)またどこかでガス爆発が起きたようであります!』というエグいくらいの臨場感で伝えてくれていたし、後年知ったことだが、ラジオ関西の当時の本社社屋も被災されていてビル内のあちこちにヒビやズレが起きてる中で放送されていたらしく、それも凄かったですねぇ。
あ、ラジオ番組『チャチャチャQ』は震災特番に差し替えられて、1月17日以降は一切放送されることなく終了してしまった。元々ナイターオフの番組ではあったが残念である。あと、弟はずっと寝てた。震度4のそこそこデカい揺れがあったにも関わらず熟睡していた。なんなら7時過ぎまで寝てた。なんで寝てられるねんアイツw
そして会社に着いたが、休憩時やちょっとした会話に出てくるのがやっぱり神戸の震災。昼飯時のテレビもNHKを流していて、その動向を注目していたし、家に帰って夜にテレビをつけると神戸の街が延焼している様子なども流していていたたまれなかったですね…。
いたたまれないとは言え特に何も出来はしなかったのだが、JR神戸線が全線開通した4月の休みの日に川西の様子を見に行ったんだが、新快速の車窓から見える神戸の様子はまだまだ震災の爪痕が濃く残っていて大変残念な気持ちになったし、川西に着いても、去年のブログでも触れたが、自分が一時期住んでた場所や、自分が住んでた近くの家数軒が倒壊してペシャーンってなっててねぇ…。瓦礫の上に屋根がのっかっててもう…、うあぁ…って感じでねぇ。
もう本当に混乱に次ぐ混乱と言ってもよかった1995年。阪神淡路大震災の2ヶ月後にはオウム真理教が地下鉄サリン事件やそれに連なる事件を起こして、ゴールデンの枠のバラエティ番組やスポーツ番組をスッ飛ばして麻原とか上祐とかの例の幹部を呼んでの陳腐な討論番組が続出・頻出しまくる異常事態。
まぁそんなこんながありまくった大混乱のあの日から30年経つんですね。今後そういう被害が少しでも減ってなるべく起きないことを願いたい。とは言え、南海トラフ地震はいつ起きるかは不明だが『いつかどこかで起きるのは確定』なので、備えなども生活の余裕の中から少しづつでも蓄えていきたいものですね。
震災により、亡くなられた方々とそのご遺族に対し、心より哀悼の誠を捧げます。