ありがとうムーンライトながら | めっしゅの靴下が物を申したり申さなかったり。

めっしゅの靴下が物を申したり申さなかったり。

倉敷クイズ会や某クイズ団体関係者の閲覧や、軍師気取りやスーパーバイザー気取りでの一方的な説教を生き甲斐とする輩の閲覧を堅くお断りしております。
ていうか、ここの文言の意味すら理解できないくらいの知能や人格を持った方の閲覧を禁じます。てか来るな。

 1月22日に悲しいお知らせが入りました。私にとってはとても悲しいお知らせでした。大垣夜行の頃から50年以上の歴史を持つムーンライトながらが廃止になってしまいました。もっとも新型コロナ以前から運行規模の縮小を地味に繰り返していて消滅の危機と言われてはいたし、新型コロナが蔓延した以降は車両の老朽化とのダブルパンチでもうダメだと言われていたし、私も内心そう思っていた部分はあったが、実際廃止のお知らせが来るとかなりヘコんだな…。もう乗れないのな…。あの走るスラムと言われた夜行快速に。

 

 (※もっともコミケ前夜や最終日に走っていた全車自由席の大垣夜行に比べればだいぶおとなしくなったし、ムーンライトながらも2010年代に入ると車掌が厳しく検札するようになり、指定席を持たずに勝手に入って勝手に空いた席に座る輩には座席に座れない指定席券を払わせた上でデッキに移動させるようになっていったから本当にここ10年くらいのMLながらって割と静かで秩序ある列車になっていってはいるが…。)

 

 まぁでも逆に考えれば採算の取れない、しかもコミケ最終日の下りムーンライトながらともなると、1人の乗客が2つの連席を取って、本人は窓側でくつろぎつつ通路側に在庫やら戦利品やらが入ったスーツケースをどっしりと置き、2席厨であることを隠しもせずに堂々と居直る客とかいたそんな大変な車両を2020年春までよく走らせてくれたものである。ありがたい限りだ。

 

 

 30代になっても40代になってもムーンライトながらをフル活用してた身だが、やっぱ一番お世話になったのは20代の頃かな。金が無かったけど東京行きたい!コミケ行きたい!って欲を叶えてくれる列車だった。夜勤のバイトを朝6時までやって数時間寝て、12時には家を出て岡山駅に行き、岡山→姫路→米原→大垣と乗り換えて大垣駅には17時頃到着。そこから5時間くらい列先頭で待って、22時40分頃の入線時には窓側のベストな席を取って、CD聞きながらずっと起きて夜景を眺め(※CD聞きながら夜行快速から見える夜景を見るのってマジ最高やで!さすがに30代に入ってからは体力の都合でやらなくなったけど…)、もちろん姫路→米原の新快速で寝たり調整した上での徹夜の夜景観賞だが、そんな至福の時を経て東京に5時ごろ着いてアキバやコミケで遊んで、その日の17時には品川駅7番ホーム(※当時の7番ホームは臨時ホーム)に行き、大垣夜行の各出入口の先頭に陣取って帰りも窓側のいい席に座って過ごして、大垣から米原→姫路→岡山と乗り継ぎ家に帰り数時間寝てまた夜勤に出たりとかそんな無茶な旅程も20代の頃の体力とムーンライトながらがあれば可能だった。本当にありがたかったな~。あれがなければ東京にあんだけの回数行けなかったしね。

 

 

 もちろん合う合わないはあるだろうが、とにかくガッツリ車両内に乗客を詰め込んで走るカオスな列車で面白かった。さすがに戦後の闇市に向かう列車からしたら物足りない感はあるが、それでも中々のカオスだった。

 

http://www.asahi.com/special/sengo/visual/page7.html

天井がないのも凄いが、車両の上に乗っかってるのはたまに落ちる人もいたやろ…

 

 90年代後半や00年代前半でも、夏休みや冬休みの繁忙期以外ならそんな混雑もせずにムーンライトながらも割と取りやすくゆったりとした旅が送れるが、夏季冬季の繁忙期、特にコミケの開催日やその前後の全車自由席大垣夜行は大変な混雑を見せ、大垣駅5番ホームや品川駅7番ホームはそのホームの島を埋め尽くす程の待機列を成し、その隣の島ホームからは「…なんやアレ」って感じで見られることもよくあった。そして入線したらしたらで、そのごっつい待機列にいる人数がわらわらわらわら入ってきて座席やスペースの争奪戦が始まり、出遅れたり雰囲気についていけずにまごまごしようものなら大垣=東京(品川)の約7時間を立ったまま過ごすハメになることもあった。今考えるとたいがいの人が若いとは言え7時間立ちっぱとかよく誰も倒れなかったものだ。しかも品川発の大垣夜行だとコミケで全力参戦した直後の者も多かったろうによく耐えたなぁ。

 

 

 一方その頃、大垣夜行も地獄だったがムーンライトながらは指定席だから大丈夫かというとそうでもなかった。上りのMLながらは熱海から一部自由席になり、下りは小田原から一部自由席、名古屋からは一部切り離した上に残りの車両も全部自由席と限定的に自由席もあったからその車両はカオスとなり、豊橋でムーンライトながらと臨時大垣夜行やながら91号(※繁忙期のみに走った臨時のムーンライトながら。臨時大垣夜行の後継)が両方停車して30分~1時間程度の停車時間があり、写真を撮る者、ホームの喫煙所でタバコを吸う者、自販機でジュースを買う者、ただただ早朝4時頃の非日常空間を楽しむ者、いろいろいたが、ムーンライトながらの方もデッキで座り込む者が多数いて結構カオスだったし、自由席から乗って指定席で空いてる所があれば強引に座る強行厨も割と当時いた)。あと、小田原から自由席というのは1つのキモで、当時のムーンライトながらの小田原発着が0:30前後で、青春18きっぷも1枚で済むし、小田原までの行き方も小田急の方が安いから小田急で小田原まで行って、そこからムーンライトながらに乗るなんて裏技もあった。あと、上りの方も熱海から自由席になるのでそこから乗り込む者も多く、制度上熱海から自由席だから仕方ないとは言え、朝4時前の割とグッスリ寝てる時間にがやがやがやがや言いながら座席を求めて通路を往来するのはちょっとキツかったかな…。

 

 

 あといつぞやの当ブログで生まれた月の時刻表を持っていると書いたが、ちょうどいいので、昭和49年当時の大垣夜行のダイヤと令和元年に走ってたムーンライトながらのダイヤを下りだけではあるが対比表を作ったので良ければ見てほしい。

 

ダイヤの対比表

 

 昔のダイヤはいいねー。小田原くらいまで各駅停車でのんびり進むし、浜松以降も割と多くの駅に停車していって、風情があるというかなんというか。(※その分トラブルだったり騒擾問題とかももちろんあったんだろうけど)1駅1駅のんびり夜行で進むのもアジがある話じゃないか。この頃の大垣夜行に乗りたかったモンだぜ。とは言えこれに関しては現代のムーンライトながらが好きな人の中でも好みが分かれる話だと思う。その分大垣に着くのが遅くなるのが勘弁だから主要駅だけでいいって思う人も多いだろう。

 

 

 ああそうだ。赤い※印は運転停車がある駅です。熱海と豊橋は乗務員交代の為、共和と笠寺は時間調整の為の運転停車なので遅延時には普通に通過します。尚、ここで挙げた運転停車の駅は下りながらの設定なので上りながらではまた違います。(※熱海駅での乗務員交代は上りでもやります。JR東日本とJR東海の境目だしね)

 

 

 それにしても、格安で鉄分も摂取しながら流れる夜景を楽しめるお得な列車が無くなっちゃうとはねぇ。東京を出た後の深夜の都会の喧噪の中を進んでいくのを眺めるのも好きだし、海沿いを走る際の景色もとてもよい。小田原~熱海や、沼津近辺舞阪~荒居町豊橋を出てからの高架線から眺める街並みとその先にある三河湾などもいいし、海沿いを走るムーンライトながらから見える景色で国道や高速道路が入り混じった先に海が見える場所とかもう最高ですぜ。早川を出てすぐくらいにある国道135号線と西湘バイパスが並行する場所とか、由比と興津の間にある国道バイパスと東名高速が混じるさった峠のあたりとか。

 

2018/8/9 17:22撮影 国道135号線と西湘バイパスが混じるあたり

 

https://www.youtube.com/watch?v=RdS5vaKwmPU

さった峠のライブ中継

 

 さった峠のは上からの鳥瞰で見るのも良いけど、東海道本線の車窓から眺めるのも良いのだぜ。もちろん昼間でも素晴らしい。とは言ってもあの区間は気軽に外を眺められるボックス席の車両はあんま走ってないけどな…。見るならドア付近に立ってドア窓からになるかな…。てかいつからロングシート天国区間になったのか忘れたが、2006年に平和島総理杯を見に18きっぷで行った頃はまだボックス席車両も頻繁に走ってたような…。

 

2006/3/20 15:44撮影 富士山と115系湘南色

 

 こんな写真もボックス席から撮ってたな。あとちょうどこの頃だっけか。平和島のレース結果メールが届いて「え?横西1着?マジで?SG優出なん?」って思ったあたりでもあるwなつかしーなーw

 

 

 てか年明けからドラクエⅢで夜行快速の名前を付けて遊んでて、バラモスも倒してゾーマも倒してしんりゅうも倒したけど元ネタが消滅しちったなぁ…。んー。

 

遊び人3人でダーマまで

 

全員ベホマが使える超楽勝なパーティでのバラモス戦

 

賢者3人でゾーマも倒しました。

 

えちごを武闘家にして、こうちまつやまを盗賊にして挑むしんりゅう戦

 

 武闘家は会心の一撃狙いですね。はぐれメタル対策としても、しんりゅう対策としても。盗賊は素早さが高い上に装備できる武器防具も豊富。なによりモンスターから諸々の種を盗ませてドーピングする目的もある。まぁ盗賊は別に作ってそっちで集めるのも考えたけど、そこまでやんのはメンドいなってことで盗賊に戦力+種獲得の両方の役割をしてもらうことに。その結果、ダースリカントからすばやさの種を盗みまくってすばやさが低かった勇者も255MAXまで引き上げましたwこれでほしふるうでわを袋の中に返して、いかりのタトゥーとかごうけつのうでわが装着可能に。ちなみにしんりゅう戦の時には4人の経験値を合わせてます。全員同じEXPです。やっぱ武闘家は中々レベルあがんないねぇ。

 

 

 まぁ、そんなお得で楽しかった列車が廃止になるとはね…。ありがとうムーンライトながら。夜行快速が走ってくれたからあっちこっちに旅が出来た。夜行快速が走ってくれたから私の旅がより一層楽しめるものとなった。ただ礼はいうがさよならは言わない。今は新型コロナもあって財政大ピンチだし、そんな余裕はないけど、いつか、いつかきっと夜行快速の需要が出てきて、再び走るようになるのだ。俺は諦めてなんかいないぜ。てか過去何十回も言ってきたけど、国鉄分割民営化の際にJR新幹線が出来て新幹線事業はそっちに全部移管してればなぁ。今みたいな大新幹線教マンセーみたな事態にはなってなかったろうに。

 

 

 あと、最後に夜行快速やその付近の旅での思い出ベスト5とかその他諸々を書こうかと思ったが、多分そっちまで一緒だと文字数オーバーだろうから、そっちは分けました。

 

 

 まぁ、今回はこんな感じで。(-_-)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムーンライトながらの車窓動画。

 

 おまけ。ムーンライトながらの車窓動画は他にもたくさんあるけど、個人的にはこれがオススメ。序盤の意味不明なオヤジの罵声と、途中で1回だけある大きなげっぷ以外は特に障害なく落ち着いて見聞きできます。広告も随時入ってくるがそれはまぁスキップするなり、諦めて見るなりして頂ければ。もう乗ることは当面できないし、疑似体験できるいい動画かと。