小学生の頃の夢は叶った?叶わなかった? | めっしゅの靴下が物を申したり申さなかったり。

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 今でも覚えてます。小学生の頃の夢は「漫画家か新幹線の車掌」でした。

 

 

 漫画家は単純に漫画が大好きで自分でも描いてみたいって思ったのが原因。ただ、画力が圧倒的に足りてなかったのでプロの漫画家は割と早めに挫折しました。(※ハガキ職人とか同人サークルに入ってそこでヘタなイラスト描いたりってのは高校時代~20代前半によくやってたけどね)

 

 

 ただね、もう10年以上前の話なんだけどこんな夢を見たことがあってね。椎名高志先生の所に押し掛けて「アシスタントにさせて下さい!」って言ってスタジオの中に入れてもらって「じゃあちょっと試しにコレやってみて」って言われて原稿の仕上げをさせてもらうことになったんだけど、ここで急に現実での「画力も無ければ、ペンもトーンも使ったこともない」っていう設定をふと思い出して「え?あれ?なんで俺アシスタントを申し出たんだっけ?何も描かれへんのに!うわー!」って所で冷や汗タラタラで目が覚めましたw漫画描きたいって欲は大人になってもあったのなー。あと、この夢を見た数日前に「平野綾だけTV #4」を見たのも大きいかも知れんw

 

 

 新幹線の車掌は、当時から鉄道が大好きだったのと、新幹線の車掌になれば東京から博多までの長距離移動が頻繁に出来るわー、などという子供ならではの甘い認識からなりたいって思ってました。まぁ今考えると東京発博多行ののぞみでも車掌も運転士も何回か交替してるしな…。

 

 

 あと、将来の夢は新幹線の車掌だったんだけど、新幹線も好きなんやけど、在来線の方がもっと好きでねー。この頃から在来線大好きやったわー。小学生の頃は兵庫の川西市に住んでだんだけど、母親が岡山出身で、夏休みや冬休みには何日間か母と私と弟(とたまに親父も一緒に行く)が岡山の親戚の家に泊まりに行くイベントが毎年あったんだけど、親父が毎回手配してくれるチケットって新幹線の指定席だったのね。もちろんそれは旅の最中に変な苦労をしないようにっていう配慮で、割とみんな納得してたんだけど、私だけが小学校入るか入らないかくらいの頃から「1回下の電車(在来線)で岡山行こう!絶対楽しいって!」ってずーーーーっと言ってて、ていうかね、阪急で梅田に出てそこから国鉄大阪駅→新大阪駅→新幹線で岡山に行ってたんだけど、国鉄大阪駅や新大阪駅で見る赤とクリーム色の国鉄特急色の車両寝台特急を見る度にドキがムネムネな訳ですよ。だから在来線や!在来線って絶対楽しいってずーーーーっと主張しまくってて、それが叶ったのが小3の夏。さすがに在来線での移動だから男親がいた方がいいだろうということで父・母・私・弟の4人で大阪から岡山まで在来線で移動することになったんだけど、当然俺は「いえー!姫路駅やん!もっちゃりした在来線ホーム素敵やん!」とか言ってテンション激MAXだったんだけど、そのそばで父・母・弟はグターってしてたなー。まぁそれが普通の反応なんだろうけど。そして旅が終わって家に帰ってきたんだが、家に入って親父が開口一番に言ったことは「おいお前!もう在来線で岡山とか2度と行かんからな!!いいかわかったか!!」だった。今思うと本当にすまんかったw在来線の旅が出来るか出来ないかも適正あるからなぁ。