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 ここに二冊の戦争体験記をとりあげます。

 藤原彰氏(故人・歴史家・元一橋大学教授)の『中国戦線従軍記』(2002)と、斉藤一好氏(弁護士)の『一海軍士官の太平洋戦争』(2001)です。二人ともそれぞれ陸軍士官学校と海軍兵学校を卒業した若手の士官として前線でたたかい、からくも生き延びて終戦を迎え、大学に進んで藤原氏は研究者として、斉藤氏は法律家として戦後を生きてきた人です。

 藤原氏は軍事史研究のパイオニアともいわれ、この本の前には『飢え死にした英霊たち』(2001)で、第二次世界大戦での日本軍人の戦没者230万人の過半数が戦死ではなく戦病死であり、それが補給途絶による戦争栄養失調症、つまり広い意味での餓死であることを明らかにしました。
 それは自身も体験しており、小隊長・中隊長を通じて直属の部下から戦死者はでても餓死者はださなかったけれども、それは補給によるものではなくて現地徴発、つまり略奪で食料を確保することを怠らなかったからであることを、率直に告白しています。
 途中で、藤原氏も負傷し野戦病院に収容されますが病院は患者に食事を保障する事ができず、原隊から毎食を従兵が届けてくれ、それで生き延び回復できた事実も明らかにしています。病院には、食料徴発のできる人員がいないからだというのです。

 斉藤氏は終戦まで沈まずに残った駆逐艦「雪風」に乗り組み、敗色濃くなるなかでの日本海軍のあげた一大戦果といわれるコロンバンガラ島沖夜戦(1943)の時には、水雷長として魚雷発射の指揮をとっていたというのですから、それこそ戦史に残る人物です。その実態は当時の海軍の戦法からすれば、遠距離過ぎる早い発射で、しかもそれがケガの功名となって魚雷が命中したとのべています。
 敵アメリカからも高い評価を受けた、ガダルカナルからの陸軍将兵の駆逐艦による撤退作戦(1943)にも従事し悲惨な実態を記録しています。

 二人とも途中で本土に呼び返されますが、それは藤原氏は本土決戦部隊の大隊長要員、斉藤氏は大型潜水艦による米海軍泊地への特攻攻撃要員でした。その途上で終戦となり生存できたのでした。

 戦争体験を客観的に率直につづり、手柄話が多い戦記のなかでは異色の、戦争の悲惨さ、日本軍の侵略戦争が軍隊内部でも多くの不合理をうんでいた事が明らかにされています。憲法九条を改悪し日本をアメリカの戦争に巻き込む策動がつよまっているなかで、第二次世界大戦の実態を当事者として明らかにしている、これらの本が今一人でも多くの人に読まれることが大切だと思います。

 中国戦線従軍記・大月書店2,000円
 一海軍士官の太平洋戦争・高文研1,800円