そもそもどうして社会福祉士を目指すのか。
数ある資格の中でも、社会福祉士を選んだ理由。
私の社会福祉士を目指す動機、原点をお話ししたい。

社会福祉士とは
社会生活を送るうえで何かしらの困難を抱える人に対して、福祉サービスの提供や相談援助を行うことの専門家である。
(簡単に誰でも分かるような説明にしたので、詳しくはまた別の機会に説明します。)
対象者は具体的には、生活困窮者、ホームレス、母子家庭、障害者、高齢者など。
視点を広く持てば、誰だって何かのきっかけで生活に困難を抱えることはあるので、誰もが対象者とも言える。
まして、全ての人に加入が義務付けられている健康保険制度や年金制度といった福祉の仕組みによって、誰一人として福祉に関わらずにはいられない。

福祉の三大国家資格は、
介護福祉士、精神保険福祉士、そして、社会福祉士。
その中でも、一番社会福祉士が福祉全体を幅広く捉えているだろう。



私が社会福祉士になりたいのは、社会を良い方向に変えていきたいから。
例えば、今後の年金システムについて。
今後は人口減少によって、一人の高齢者を二人くらいの現役世代で支えていかなければならないと予測されている。そうなった時に、今のままの年金制度では成り立たなくなるのは明らかだが、ではどうしたら良いのか?
手をこまねいて見ているだけでは、助かるものも助からなくなる。
福祉の深い理解や洞察、他国の福祉政策との比較によって、年金問題の解決の糸口が見つかるはずだ。
そのために、まずは福祉全般に対する知識をつける必要がある。年金の問題だけではなく、女性の社会進出の問題や雇用の問題、奨学金問題など、このままでいいのかというようなことはゴロゴロある。
福祉を学ぶことにより、そういった問題に対抗する力を身に付け、社会を変えていきたい。


子供は親を選んで生まれてこれない。
人間誰もが平等なんていうが、生まれたときから誰もが平等なんてあり得ない。
お金持ちの家に生まれれば、教育や食事に恵まれやすく、貧乏な家庭に生まれれば、貧困に陥りやすく、十分な教育を受けづらい。
親からたくさんの愛情を注いでもらった子供は愛情豊かに育ち、逆に暴力や無視など愛情に恵まれず育つと非行や問題児になりやすい。
必ずしもその通りになるとは限らないが、与えられた最初の環境が私達に与える影響はとてつもなく大きい。

私は貧しい方だった。
親はよく喧嘩していた。
お金のことで言い争っていた。
他の家庭と比べると、あまり豊かではないことを子供ながらに感じた。
しかし、そんな中でも、誕生日プレゼントを買ってくれたり、好物を買ってきてくれたり、そういった優しさがとても嬉しかったのを覚えている。
父親が寝る間を惜しんで仕事をしているということが大人になるにつれて、分かってきた。
私が大人になって、家族のために働いてくれていたのだということがよく分かるようになった。
父も母も、時間を仕事に捧げて、家族のためのお金に変えてくる。
だから、最低限の生活ができるということと引き換えに、何かを楽しんだり、自分の趣味に費やす時間やお金はほとんどない。
とりたてて手に職があるわけではないから、誰にでもできるような仕事にしかつけない。
加齢とともに、できる仕事はどんどん限られていく。
それで、どうやって生活を楽しむのか。


真面目に頑張っているだけでは報われないこの社会。貧困に陥るのはその人が努力してこなかった責任なのか。そうじゃない。
根本的な問題の根っこは社会にある。
今のこの社会だと、人間が人間らしくなんて、夢物語なんだよ。でも、人として生まれてきたからには、誰しも幸せを願っているだろう。
一人ずつでも、やがてはみんなに広がる。
私はこの社会を変えていきたい。


私自身、経済的な事情もあり、大学進学を諦めた。
親の援助が受けられない中、入学金はどうするのか。入学してからの学費はどうするのか。
奨学金を借りるというのも手だが、奨学金の多くは利子つきのため、借金を背負うことでもある。
もし、裕福な家庭に生まれていたら、大学に行ける可能性は高かっただろう。

こういった社会に対する疑問や不満を強く感じる出来事が、この社会を変えていきたいという原動力になっている。

自分自身のため、親のため、他の人のためにも社会福祉士となりたいのだ。