私は以前、疑心暗鬼の状態だったと思います。
独身の頃の仕事は命を守る仕事だったので、現場は毎日毎日バタバタしていたし、緊張感が常に漂っていたし、厳しい環境だったと思っています。
もともと、厳しすぎる環境で育ってきたので、自己否定が他の人より強かったし、自分の価値も低いと思っている状態なのに、
厳しい仕事に就くことで、自己否定が更に強くなり、自分の価値はほぼ無い状態になっていったと思っています。(なんとかしなきゃとは思っていた)
だから、相手が私を価値の低い人間と思って接してもらう方がどちらかと言えば心地よかったと思います。
自ら動くという事があまり無く、指示通りに動くことに居心地の良さも感じていました。(責任もって行動することに怯えていました)
そして、周りの反応もすごく気にしていて。
周りの反応で、自分の価値の判断をしていたと思います。
周りの反応や周りの価値に左右されていたように思います。
これが、社会にでて仕事をするようになってからもの凄く強くなっていきました。
人格形成には、家庭環境も、もちろんありますが、その土地などの文化なども大きく影響されると言われています。(校風や社風も含まれる感じかな?)
なので、凄く辛かったし、頑張っても頑張っても良いことなんてほんの少しと思っていたし、この世に生まれてくること生きていること事態が不幸だと思う時もありました。
あの頃は本当に頑張っていたと今でも思うし、今より頑張っていたとも思っています。
真面目に正しく、カクカクになって必死で、自分の首を絞めていたと思っています。
心身ともに余裕なんてありません。
周りばかり気にしていたので、周りの反応が気になり過ぎる状態なので、誰を信用して良いのかも、自分さえも解らない状態だったと思います。
きっと私の母も同じような経験をして生きてきたと思うんです。
母の方が辛い思いをしていたと、今は思える。
どれだけの辛抱をしてきたか・・・・・と・・・・・
私には出来ないことだと思っています。
それなのに、母自身がその頑張りにも気づけてないし、耐えて耐えて忍耐強くなり過ぎていることにも気づいてないので、
相手に評価を必要以上に求めるし、温かさも求めているように感じるし、自ら行動することにも躊躇している感じです。
母は母親らしさに欠けている所もあるので、悲しい想いを沢山してきました。
でも、今はしょうがないって思うようになりました。
確かに、母親らしさは欠けていても、私が悲しい想いを沢山しても、
母としては、必死だった。
決して、遊んで育児放棄していたわけでも無く、解らないことばかりの中、真面目に一生懸命だったと思うし、母が信じる生き方をしてきた。
ただ、それだけなんだと思っています。
それが、私からしたら「間違っていた」という判断になるのですが・・・・
実は間違いも何も無くて、そういう母がいて、不満に思う私がいたというだけの話しです。
不満に思うから、何が起きているのか知りたくて。
怪しいと思われるような心理カウンセラーに出会い、救われ。
通信大学で学び、さらに助けられました。
ホント、自分の気になることをしてきて良かったと心から思います。
娘は不登校かもしれないけど、家族は優しくて、それぞれが大切に想っているので幸せです。
状況は大変かもしれないけど、幸せです。
精神科の診察時間は短いという実態があるとよく聞きます。
精神科医としては、本当は色々説明したい気持ちはあるようなんです。
しかし、病院を経営していくのに、やっぱりコスト問題は外せません。(国で定められたルールで経営しているので)
そうなると、診察の時間も短くなってしまうんだそうです。
だから、心理を学んでほしくて動画をアップしているという精神科医がいます。
学ぶってお金がかかることです。(学びにお金はつきものです)
生きるってお金がかかることです。
なので、出来るだけ、経済的負担が少ないモノから学ぶことも大切だと思っています。
生きていて、
上手くいかないし、
傷ついて悲しい想いをしているなら、
カウンセリングでも
病院でも
動画でも良い、
学んで欲しいと心底の願いです。
そして、何回か学んだからと言って、簡単なモノでもない事を知って欲しいと思っています。
今まで生きてきた経験がある分、人の心(脳の機能)はそんな簡単ではないことを知って欲しいと思っています。
私はここまでになるのに、7年くらいかかっています。
そんな簡単なことではありません。