私の夫が私の中学校の卒業アルバムを見ていました。

夫は私が日本に暮らしていたことは知っていますが、彼が私の子供のころの写真をみるのはそれほど多くありません。
そして、このアルバムは両親の家の倉庫を3時間探して見つかったまるで宝物でした。

「君が日本人の中にいるのは不思議だが、君が見せることのないような笑顔で写っている。」

夫はそう言って、他の写真を見ていました。
娘は背伸びして、写真を指差しては「ママ、ママ」

私は1つ1つの写真を手に取り、一人一人の名前を思い出していました。
その写真は私を含めた女の子三人と男の子二人の写真で東京都庁で撮られた写真でした。

中学3年生の時、私とマリコとナナは男子のカネボウとイサンチと5人で新宿にある都庁に行こうということになりました。

西武新宿で降りてPePeのあたりでマリコとナナはトイレに。カネボウとイサンチは売店に。私は家に電話をしていたのです。

電話が終わり皆を待っていたときに警察のパトロールが三人私の所に着て、「職務質問にご協力ください。パスポートはお持ちですか?」と聞いてきたのです。

中学三年生でも、私は他の人達よりも少し大人に見えてしまいます。オーストラリア人だからね。
しかも、私は黒い髪の毛に青い目なので新宿の大久保の方で働く人達に思われたのかもしれません。
しかし、突然のことと、パスポートを日頃持ち歩かないほど日本に同化しているつもりだったのでびっくりしたのです。

それは、あなたが中学生で突然三人の警察官に呼び止められたのとあまりかわらない威圧感というか子供にとっては恐怖感です。
パスポートを持っていない心配などで私は恐怖のあまり泣き出しそうになりました。

その時、イサンチが走ってきて警察官に対して「こらー!!!」と叫びながら走ってきたのです。
イサンチは背が低く小太りで学校ではどちらかいうとおとなしめで休憩時間のUNO友達の1人でした。

そのあまりに迫力の無い「こらー!!!」という声に道いく人は、何かおこったのか?みたいな顔で見ていました。
勢いよく現れたけれど次のワードが出てこないイサンチはすごい顔で警察官をにらんでいたのです。

見かねた警察官が「友達?」など言っていたと思います。イサンチはとにかく私を守ろうと走ってきてくれたのだけどそれ以上何かが起こることはありませんでした。

マリコとナナが走ってやってきて警察官に説明して私は解放されました。

実はイサンチは極度の緊張のあまりに手が震えていて、歩き方もすごいぎこちない歩き方になってしまったのです。

私はあの時のイサンチの勇気とぎこちない歩きと今にも泣きそうな彼の蒼白の顔が忘れられません。

都庁までお喋りしながら歩いていても、イサンチはショックが大きかったのかあまり話にも入ってきませんでした。

今度、警察官の職務質問があったら、○○中学の生徒なので○○中学に電話してくださいって言えばいい。そういう話をしたことも昨日のように覚えています。

夕方、家の近くで誰かがついに「イサンチ大丈夫?」と言いました。

イサンチは「ビッキーを助けようと思って行ったけどそれ以上の言葉が出てこなくて恥ずかしかった。強くなりたいな」そんなことを言いました。

私は我慢できなくなり、イサンチの手を握りました。「助けてくれてありかとう!」
私の半分ぐらいしか身長のないイサンチのホッペにキスをしてしまいました。

友達は「うおー!!」と。

そうですね、そういう文化では無いし、そういう挨拶方法でもないですから。

私も緊張と安堵感で家の中だけのオーストラリアが出てしまったのでしょうね。

イサンチは真っ赤な顔になり「じゃあ、またな!」と急にカッコつけて帰っていったのです。

私は面白い顔のヒーローの写真を見ながら、あの日のことを思い出しました。

可愛いですね。



初めまして。

私はオーストラリアのメルボルンという街に暮らすオーストラリア人の女性です。
around30です。

娘が1人いて、娘と夫と大きなダルメシアンの4生物で暮らしています。
娘は4才でおとなしくあまり手がかかりません。

娘は近所の子供達と公園で遊ぶこともそうですが、私の実家で私の年の離れたティーンエイジャーの妹や、私の弟の子供らと遊ぶことを楽しみにしています。どうやら食べることよりも遊ぶことのほうが好きなようで、将来はParty Girlになるかもしれませんね。

私は元々はメルボルンに生まれたのですが、父の仕事の為、様々な街、あるいは様々な国に引っ越しをしました。
そこでは様々な人達に出逢い、様々なことを見て、様々な別れを経験しました。

両親は都会を離れ、母のような東ヨーロッパ移民が多くすむ村に移住したので、メルボルンに住むのは私と私の下の弟だけになりました。

下の弟はアメリカ人の女性と結婚し二人で暮らしていますが、私から見ればまだ子供なので、奥さんがいない時に晩御飯目的だけに私の家にくることも許してしまいます。

日々、楽しく愉快に生きています。

娘がお昼寝をして、後片付けも終わり、椅子に座ってメールを見た時に、日本の中学校の通っていたときに親友だったマリコから写真が着いたメールが送られてきていました。

懐かしさと、どうして私のメールを知っているの?が入り交じり日本風に言えば狐につままれた気持ちになりました。

マリコはFacebookで大人になった私の双子の妹達を見つけてコンタクトを取り。東京で仕事をしている妹と会って、私のことを聞いたということでした。

すごいミラクルな人にインターネット上で再開し、さっそくSkypeを利用して話をしました。

マリコも結婚して二人の子供のお母さんになって、私もお母さんに。
マリコと私の時間は15才でストップしていたのに約15年を経過してリスタートしたのです。

Skypeでの話は私が夕飯の準備をするまで続きました。

高校生活や引っ越しなど様々な理由の中に置き去りになっていった思い出を私はインターネットで取り戻すことができたのです。

一生懸命私に日本語を教えてくれようとした友達。一緒に下校した友達や、何をしたのかという思い出。

当時の家の私の部屋でお喋りしたこと。

学校の放送室で集まっていたこと。

陸上部だったころ。

好きな男の子を話しをしたときに私が一番趣味が悪かったり。

これをここまで読んでくださった余裕のある皆さんならば同じ経験をしたのではないですか?

そう。私は完全に日本人になっていたのです。少なくとも学校に行ったときは日本人と思っていましたし、街で外国人を見れば『わ!外国人だ!』と思うようにまでなっていました。

面白いですね。私も青い目をしているのに。

昔の話は尽きませんね。


オーストラリアで一オーストラリア人として母親としてオーストラリアに暮らす私が一時期、完全に日本人だったことやどうしてそうなったのか?それにはキーパーソンが存在します。

その人達のことや、外国から見た日本のことや、私を育てた大好きな日本のことを書いていきたいと思います。

しかし、それはどこかであなたに対する批判的な事柄になるかもしれません。

私は私の大好きな日本を悪くいう人や、他人の業績にかこつけて、まるで自分のことにいう怠け者が嫌いです。

私が好きな日本人は私が出会ってきた優しく、可愛らしく、頼もしい人達だからです。

もし、あなたがそうではないのならば、その日本人達になれるように努力してください。

それに経済力や腕力はいりません。ただ意識の問題ですね。

久しぶりに長い日本語を書きました。
疲れたのでお昼寝ですね。
本日のオーストラリア人主婦のお昼は少々暇なのです。ではまたね。