結局、母は昨日、家に帰らず私の家で寝ました。帰りたくなかったわけではなく私との話に熱がはいり帰る機会を失ったというのが正しいのかもしれません。

ワインを飲んだ為に車を運転することもできず、夫もその日にかぎって仕事で家に帰らず。

母も都会の雰囲気が好きなのか、私達は二人、家のバルコニーからメルボルンの夜景を見ながらワインを一瓶。


母は父と出会う前には赤ん坊の私を抱いてメルボルン、シドニー、キャンベラ、アデレードと様々な街に住んだことがあると言っていますが、私にはメルボルンでの記憶以外には東京での記憶しかありません。


母は財布の中に私達が子供のころの写真を入れており、証明写真サイズの私が赤ん坊のころの写真を見せてくれました。

母は写真や大切な物をラミネートパックする癖があり、その写真もラミネートされています。その母の財布の中ラミネートコレクションには日本の5円玉もありました。

日本人がご縁がありますようにということで母に渡した縁起物のアイコンのようなその五円玉も母はラミネートして大切に財布にしまってあります。


日本に住んでいたころ、母は他の外国人に「これは何円ですか?」と聞かれたんだそうです。

そう言えば私もありました。

五円

こう書かれていると、日本語を読めない人にとっては何円なのかわからない硬貨ですね。

穴の開いた漢字だけのイメージ的には江戸時代からあったような五円玉を母は珍しいのでお気に入りにしています。

それと、日本人が五円にかけて言うご縁。

私は日本に住んでいたころ可愛らしいクラスメイトに近所の人々。

素敵な縁で知り合うことができました。

日本に行ったことのある外国人の日本に対する評価は複雑でそれは日本人の心の中にある複雑さがそうなるのかもしれません。

しかし、私が出会った人達のほとんどは私に対して優しく接してくれた素敵な人々でした。


昨夜は、その五円玉の製造中止と言うニュースを聞きかじり、少しだけ日本とのご縁を母と話した夜になりました。
夫は自転車競技が好きで、彼自身も大学時代は自転車競技選手でした。

「オーストラリアは広大な土地があるのですが一般的には起伏がそれほど激しく高低差があるわけではないので南米の選手のように異常な心配能力があるわけではないし、東ヨーロピアンのようにステロイドホルモンを使わない。それは問題外だけれど。」

東ヨーロッパにルーツを持つ私への当て付けなのかと少しムッとしました。

彼は今度出場するトライアスロンの為に彼はガレージ兼彼の趣味の作業場で自転車をセッティングしていたのですが。

「さっきの晩御飯のチキン、ステロイドホルモン入れたけど大丈夫?」

一瞬、かれの動きがピタリと止まって面白かったのです。

そんな乗るのも難しい自転車は日本のママチャリに絶対勝てないよ。私はそう思いながら、世界を広げてくれたママチャリを思い出します。


中学1年生のころ、私は、そのおかしなネーミングの自転車をどこでどうやって手に入れたのかは全く覚えていませんが。シルバーカラーのママチャリに乗っていました。

カゴにいっぱいに物が入るのが大好きで、常に何か物を入れていた記憶があるのです。

自転車で友達に会いに行き、お喋りの途中で私が自転車のカゴから取り出す御菓子や飲み物。カゴの使い方が面白いとずっと言われていましたが、それは私のお気に入りポイントの1つでした。実はママチャリにはもう1つお気に入りポイントは一蹴りでつくライトです。
回る車輪を利用し電気を発生させるなんて考案した人は天才だよね。

私はいつものようにママチャリで買い物に行き駐輪場にママチャリを置き店に入っていき、買い物を済ませて、駐輪場に戻ると。

私の自転車の椅子の部分が盗まれていたのです。

しかたなくトボトボと自転車を押して家に帰っているところ、いつも見かける高校の制服を着た高校生のお兄さんが、「サドル無くなったの?」と言ってきました。

彼は家に帰る途中だったのでしょうが、座る椅子の無い自転車を押しながら歩く私を惨めだと思い立ち止まってくれたんですね。

「日本語わかる?」と聞いたので「うん、椅子無くなったの。」と言いました。
すると彼はおもむろに自分のサドルを外し、私の自転車に差し込みました。

「どうして?」と思う言葉さえも言えないまま、彼は椅子無しの自転車を立ち運転し去っていきました。

まるでカンガルーのようなその運転方法で去っていき、惨めだった私の為に自分のサドルをくれた彼に感謝しながら、私は一瞬惨めな思いをしたが、彼のおかげで素敵な思いもした。

今度、同じように椅子を無くして歩いている人が入れば、私はさっきのカンガルーお兄さんと同じことをする!と誓ったのです。


ですが、

さっき夫が「そのサドル返して。」と言ってきたのですが、先程の東ヨーロッパ人への侮辱を謝罪しない彼への抵抗としてテーブルの向こう側に置き、代わりにオランダで買ったママチャリ風の私の自転車のサドルを渡しました。

彼は空気を読んで「ah sorry.ハラキリー。」と言っておどけました。



娘が「アルファベット、Aはとんがり帽子、Bは太っちょさんでお腹がつっかえて…」アルファベットを勉強していました。
勉強といっても、レコーダーから聞こえてくる音楽を聞きながら遊んでいるだけですが。

母がキャンベラの親戚の家に行った帰りに私の家に来て私と娘の為に持ってきてくれたマンゴーを切りながら、空港で出会った日本人達のことを話していました。

母は日本人達が空港で日本に帰ったときの寒さやジャケットのことを心配しているのを聞いて、母が接した日本人達のことを思い出していたんだそうです。


私の知っている東京は、雪が積もり地面がベタベタになっている風景ですが、東京で働く妹の話によれば最近は冬でも雪が積もることはまれのようですね。

私は真冬の日本と言えばオーストラリアではなく、オーストリア大使館近くの坂の所でオーストリア人と思われる子供達と私の下の弟が雪だるまを作っていたのを思い出すのです。

子供達は雪だるまを作るのですが、人が通ると「コンニチハー」と言うのです。

すると歩いている大人はその外国人の子供達を見て「こんにちは」と言って思わず笑います。

弟を含めて小学生の低学年の子供達は立ち話をしている母親達の近くで必死で雪だるまを作っていました。弟はドイツ語はわからないだろうに必死で雪だるま製造を手伝っていたのです。

私はさっき買ったマンガを読みながら弟達の横にいました。
でも外なので寒く、母のオーストリア人のおばさん達との立ち話も早く終わって欲しいと思いながらいたはずです。

車や人が通るたびに「コンニチハー!」という子供達。私の弟もペコッと頭をさげて「コンニチハー!」

その度に、言われた人は「こんにちは、雪だるま?スノーマン?」などと笑いながら声をかけていました。

家に帰ってから。私は何かの用事で外に出たのですが、それがその日のことか別の日のことかは覚えていません。

前からお婆さんが歩いてきていたのです。
私に「こんにちは、今日は寒いですね?」と言ったのです。

私は何故か、本当に何故かわからないのてすが嬉しくなって「こんにちは!寒いてす!」と答えたのです。

このことを今でも覚えているのですから、よっぽど嬉しかったんでしょうね。

ただ「こんにちは」と言われただけです。

見ず知らずの優しそうなお婆さんに。

ただ、それだけなのに。

「コンニチハ」これは人を笑顔にする素敵なおまじないですね。

あなたは言えますか?この素敵な言葉。