ある脳研究で「褒められた」時と「現金」や「食べ物」をもらった時に脳の同じある部分の血流が増大する反応を発見したそうだ。
◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html
や◎サービス残業による過労死/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10085236817.html
、◎超簡単!超便利!時間節約!知識不要!ひと目でわかる!/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10089870613.html
、◎PARTⅡ超簡単!超便利!時間節約!知識不要!ひと目でわかる!/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10090085112.html
といった言葉に弱く、それを当たり前に生きてきたことによって弊害を生んでいると思われる現代には朗報なのかもしれない。
最近、新聞(日経)を見ていても、テレビを観ていても脳が注目されているように思う。
注目されているというか、脳に注目しましょうってアピールしているように思う。
厳しくビシビシしごかれると、厳しく叱られると成長するという人と叱られるより褒められると伸びるタイプという人がいる。
いずれも自称だけど、どちらか一方では、効き目ないんじゃないかな。
『飴とムチ』という言葉があるとおり、この2つの配分を人によってわけることは必要かもしれない。
「叱る」ことを勘違いしている大人も多い。
相手のことを考えた上で先々のことを含め良心から良かれと思って感情を込めて伝えるのが叱るということだと思っている。
ただ、相手のことを考えていると「思い込み」ながら、自分が絶対的完璧主義で自分がやっていることだからと何から何まで気に入らないことは一つ残らず、それをどんな相手にも求めて伝えるのは、「迷惑」、「勘違い」、「分別がない」、「大人気ない」といったところか。
自分の感情だけで激昂したり、抑圧したり、威圧したりするのは、前述に加え、単に「キレる」、「ワガママ」、「自己中心的」、「利己的」、「独裁的」といったところだろうか。
「思い込み」の場合も「自分の感情だけ」の場合もどっちにしろ、「叱る」とは程遠いだろう。
一方、「褒める」と図に乗る輩もいる。
図に乗っていると勘違いされそうな照れ隠しのケースもある。
笑いに変えてしまう人。
図に乗っているフリをする人。
また、褒めると怒り出す人もいる。
褒められても平然と微動だにしない人もいる。
他にもいろいろあるかもしれない。
これは、褒める方がどうなのか見分けるしかないけど、怒り出す人や微動だにしない人は、それはそれで脳の他の部分を検証する必要があるかもしれない。
「褒めると照れる」人に対しては今回の研究成果は意味あるものになるんだろうね。
ただ一方でこれは、褒めてくれる相手にもよる。
褒めてくれてる相手が、その褒めた内容について全くわかっていない人、全く他人事の場合は、「褒められている気がしない」どころか逆効果だ。
これが職場で上司や経営陣だったりしたら目も当てられない。
少なくとも「褒められるべき人に褒められて」「照れる人」その上「頑張れる人」は、謙虚で頑張りやで人間力に優れ、人間的に素晴らしい人だ。
さらにそれによって「何かを進めるプロセス上、効果を出す人」「結果を出す人」
これは謙虚で頑張りやで人間力に優れ、人間的に素晴らしい人である上に、何かをこなす上で有能な人財だ。
さらに「褒められてそれをフワッと包み込むような場の空気を壊さず、嫌味のない笑いに変えてしまう人」は、前述の有能な人財に加えて人並み以上の笑いのセンスとさらにそれ以上の素晴らしいものを兼ね備えている。
職場で褒めてくれてる相手が、その褒めた内容について全くわかっていない人、全く他人事の場合は、要注意。
もちろん、それでも褒めない上におかしな事が目立つ職場は言うまでもなく要注意。
しかも、見える、見えないなどやり方はともかく、空気を変えよう(換えよう)としても変わらないなら、
そんな恵まれない環境にいる「褒められて照れる」人は、転職を考えた方が妥当だろう。
そんなところに埋もれていては、せっかくの人間力が、せっかくの人財としての質やエネルギーや栄養が低下し、知らない間にもストレスが溜まり、バランスを崩して、【せっかくの謙虚さ、頑張り、努力、実力、能力、人間力、社会力、運気が仕事生活習慣病】になってしまうから、それは途轍もなく勿体無いことだから。
そんな人だけで成り立つ会社があったら、いいのにね!