医者よりも味噌 | そば雅 (そば打ち職人)

そば雅 (そば打ち職人)

長野へ出掛けた帰り道に檜の麺棒を購入したのがキッカケで蕎麦打ちに挑戦しましたが実に難しく、美味しい手打ち蕎麦を極めようと独学で研鑽。
今では蕎麦の奥深さに魅了され、少しでもこの思いを広めたい、と思っています。

江戸時代前半はうどんが主流で、蕎麦はついでに売っていた程度でした。

現代は、昆布・椎茸・鰹で作った(だし)と、醤油・味醂・砂糖で作った(返し)を混ぜた蕎麦つゆが主流です。

江戸の昔は味噌に水を加えて煮詰めたものを布袋に入れて吊し、垂れてきた(たれみそ)というもので食べていました。

時代を経て、鰹節を使わないつゆを「精進汁」 鰹を使ったつゆを「生臭汁」と分けて呼ぶことも。

 

江戸時代の諺に

【医者に金を払うより味噌に払え】というものがあります。

元禄8年(1695)の「本朝食鑑」には上下四民が用いた、との記載も。

 

大豆の甘・温は気を穏やかにし、腹中を寛ぎ、血を生かし、百薬の毒を消す。

麹の甘・温は消化をよくし、閉塞を防ぐ』というのが諺の根拠に。

 

味噌という言葉が現れたのは平安時代で、僧侶と貴族階級だけの高級品、庶民に普及するのは室町時代、江戸時代になってから味噌の文化が花開きました。

庶民は調味料だけではなく、栄養素として手前味噌を醸造していたのですね。

 

 

 

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