鰹節の歴史 | そば雅 (そば打ち職人)

そば雅 (そば打ち職人)

長野へ出掛けた帰り道に檜の麺棒を購入したのがキッカケで蕎麦打ちに挑戦しましたが実に難しく、美味しい手打ち蕎麦を極めようと独学で研鑽。
今では蕎麦の奥深さに魅了され、少しでもこの思いを広めたい、と思っています。

 

鰹節の種類・加工や出汁の取り方については、過去ログに詳しくアップしましたが、今回は歴史について。

 

 

鰹節の原型は「煮堅魚(にかたうお)」で、平安時代には既に作られていました。それまでは削っていましたが、食べられるのは主に上流階級の人達に限られていました。

あの小野小町の大好物でもあったそうです。

 

初期の物は天日干しでしたが、次第に薪を燃して乾燥するようになりました。

延宝2年(1674)に土佐の商人の援助を受けた紀州の漁師の甚太郎という人が「燻乾法」を開発したとされています。

その結果、従来の物より飛躍的に保存が効き、安定供給も可能に。

 

「出汁」として使われるようになったのはこの製法以降ですが、町人層まで普及するようになったのは江戸中期以降のことだとされています。

 

 

 

 

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