こんばんは、殿塚です。

パラグライダーを初めて12年になります。
ここ1ヶ月、たくさんの方とお話をする機会がありました。
何回もパラグライダーの話しをしていて、少し頭の中の整理ができたのでまとめておこうと思います。


- 30歳で辞めようと思ってました。-


インストラクターの仕事はとても喜びに溢れる仕事です。
子供とタンデムをすると、空中で目をキラキラさせて喜んでくれます。
初飛びで無事に着陸した女性は、涙を流して感動していました。

「空を飛ぶなんて、素敵なお仕事ですね~!」
多くのお客様がそう言ってくれます。インストラクターとして嬉しい、楽しいひとときです。


その反面、大変なことも沢山あります。

インストラクターは、フライトする皆さんの命を預かる仕事です。

飛ぶのに慣れている方は「そんな簡単に死んだり怪我したりしないでしょ?」と思うかもしれません。
実際に大事故はほとんど起こりません。
でも油断をすると、自分の管理下で「人が死ぬ」ことがありえる仕事なのです。

十分注意しているにもかかわらず、うっかりと危険な領域に足を踏み入れてしまうこともあります。
その度にインストラクターはハラハラして、何とか無事であることを祈るばかりなのです。


そんな風に神経をすり減らしながら行なっている仕事ですが、小さな業界ですし不景気の影響もあり、雇用状況は決して良いものではありませんでした。
「自分は飛ぶのが好きだから。」「お客様に感動してもらえるのが自分の喜びだから。」
そういった「思い入れの強いインストラクター」によって支えられている。そういう業界なんだと感じています。


宇都宮では週末になると、一日20名~40名という数の体験をこなし、講習場を走り回っていました。
つくばでは教員資格を取り、スクール生の指導に力を入れました。
白馬では8月だけで100回以上のタンデムフライトをこなし、飛びまくりました。
大佐ではイベントを月一で開催し、仲間と過ごす楽しさを共有してきました。

いろんなエリアを渡り歩き、各エリアの良い点や見直すべき点を知ることができました。

「ここであれをやれば。」「こうすればもっと上手くいくはず。」
そんなコトを考えながらやってきました。
しかし、自分の力では現状を打破することができず、諦めようとしていたのです。


「30歳という年齢は転職の一つのライン。普通の仕事をしてお金を稼ぎ、休みの日はスクールのお手伝いをしてお客様に喜んで貰えればいいかな。」


ここ数年でみても、業界を去っていったインストラクターは沢山います。
みんな、それぞれ似たような思いを抱え、離れていったのだと思います。




それがどういう訳なのか、自分はこの業界に留まることになり、ADVANCEという老舗メーカーも扱うようになってしまいました。


いつからか、「普通に就職するより、パラグライダーを仕事にしていけってコトか。そうゆう運命なんだな。」と思うようになりました。
それからは腹をくくり、10年後の、次の世代のパラグライダースクールを夢見て、それを実現する為に勉強してきました。


今日まで、大変なことが沢山ありました。。
正直、心が折れかけたことも何度もあります。

しかし幸いにも良き理解者に恵まれ、妻の助けもあり、心ある人の支えの中で何とか踏ん張ることができています。

フィールドジョイという会社は設立してたった3年という、まだまだ未熟な会社です。
時にはご迷惑をお掛けしたり、不安を与えてしまうこともあるかと思います。
それでも、「お天道様に顔向けできないようなことはしない。」そういった信念を持って仕事をしてきました。
なので、これからも胸を張って仕事をしていきたいと思います。


図らずとも、今までとは違う新しいことに挑戦すべき状況になりました。

色んな場所で思いつき、ため込んできたアイデアがあります。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、将来に向けて小出しにしようと思っていたアイデア。
そんなアイデアの数々を、出し惜しみすること無くこれから実践していきます。

急激な変化に戸惑う方もいらっしゃるかと思いますが、僕も必死に動き出さないといけないのです。
殿塚がどんなものを作り上げていくのか、そっと見守っていてくれたら幸いです。


皆様のご理解ご協力の程、どうぞよろしくお願いいたします。