井上雄彦さんが描いた墨絵を見てきました。

式年遷宮を迎える伊勢神宮に奉納する

長尺の墨絵「承」(幅約180cm、高さ約22cm)という作品です。



井上さんはスラムダンクで有名な漫画家で

現在も バガボンドや リアルなど連載されています。


最近の作風は 漫画の域をはみ出て

アートでもあり、哲学でもあり

どこか求道者のように

本質を追い求めているような感じをうけます。

その井上さんが自身のHPに 

今回の墨絵に関する記事を載せていたので掲載します。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

人の植えた木だとしたら、400年前の人によって植えられた木を今、使わせていただくということになる。

400年の時間に想いを馳せて、一瞬のめまいに似た感覚、そののち、「使わせていただく」という謙虚な気持ちが自然とわいてくる。

俺が俺が、をいったん捨てて、人間がすべてという考えから離れない限り400年の時間は思い描けない。

今度は、いまに生きる我々が植えた木を、400年後、誰かが受け取るところを想像する。

見届けることはできない。

ただよく育ってほしいと祈るだろう。そしてどうぞ役立ててと願うだろう。

静かに、傲り昂る自分をなるだけ鎮める。


受け取って、次へとつなぐ。

平均数十年の命をもらって生まれた私たちは、その何百倍もの長い時間の帯の中の、ひとつの瞬間に生まれ、次の瞬間にその生を終える。

もっとはるかに大きな時間の中で育まれてきた木の恵みを受け取って生きている。

ほかにもいろいろな恵みを。

一方でこの暮らしの効率と利益を追いすぎた結果、木より石より人間の都合を優先したものをたくさん生み出してきた。

都会に暮らす人間は、いつの間にか人間の時間よりも短い時間の存在に囲まれている。

便利だが、そうしたものに囲まれて暮らしていると次第に失われていく感覚がある。

それは、自分よりはるかに大きなものからの恵みのもと、生を許されている実感。

その対極にあるのが、支配している感覚、何でも分かってるという感覚だろうか。

自分はすべて知っているという感覚こそが、皮肉にも、自分の脚で生きている実感そのものを失わせる。

自然の中にある木や石は、人間よりはるかに長い時間をゆっくりと生きる。

木の建築、石の建築はものを言わないが、長い時間を含んだ命が依然としてそこにある。

その命に日々触れることで気づきは新たになる。


大きなものにゆるされて生きているという気づきを新たにすることで、自分だけの命ではないことに思い至る。

つながりのうちのかけらのひとつとして生きてはじめて命は価値を持つのだろう。

それを忘れて生きるのは人間だけ。

それに気づくことができるのもまた人間だけだ。

やはり命は尊くありがたい。

そしてちっぽけだ。

ありがたや。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

今回の作品では絵の中に幾人の手が描かれていました。

式年遷宮という儀式も 多くの世代を超えて受け継がれきたもので

その手を一つ一つを見ながら その時代に生きた人を思い浮かべると

そこに思う感情は ありがたさ でした。


私たちが今いきているのも 

同じように受け継がれてきた いのち だと思うと 

そこには あたたかい感情が 浮かんできます。


受け継がれたきたもの

その時間の長さに目を向けることで

悩んでいる自分 囚われている自分に

ちょっと距離を置くことが出来る。


何かを怖れ、感情に 振り回されることは

なくならないだろうけど

そんなときは 

この絵のことを思い出したい。

そして、自分の今できることに もう一回目をむけたいと思います。


以前教えてもらった酵素ジュースを

自分で仕込んでみました。



近くの直売所で仕入れたものを中心に

約30種類ほどの材料を使用しました。

(穀物など少量のものも含んでいます)



材料のほとんどは農薬はがしの処理をした上で

皮ごとそのまま使います。

(みかんは皮を剥いて使用)

アクがつよいものも複数いれていますが

酵素ジュースではそれを気にせず使用します。


通常、アクがあると食べにくいので除いたりしますが

アクがあるものが複数あると、

醗酵過程で互いに中和して、

まろやかになります。



おもしろいですよね。

単体ではアクがマイナスに働くのに

いくつか重ね合わせるとプラスに働く。

自然のものってほんとうまく出来てるなって思います。


重ね煮も同じような原理ですよね。

(陰と陽をものを重ねて中庸にする。)



そもそもなんで外側に栄養素が多いかというと

植物が自分の体を外部(紫外線などの環境因子)から守るためで

そこに抗酸化作用のあるファイトケミカル(phytochemical)が多いですよね。



普段の食事では一番栄養のあるところを

なかなか利用できないですが

酵素ジュースにすると、 それがとってもいい状態で

取り入れることができるので すばらしい知恵だなって思います。






今回作ったものは

前回のものと比べて、 とろみが強かったです。

レンコンや 芋系が多かったかもしれません。

(倉敷はレンコンの産地なんでいいのが手に入ります)


気温が20度を下回る事が多く少し醗酵するのに時間がかかりましたが

いい感じに仕上がったと思います。







水の話をかいてきましたが

これらは和歌山の『ゆの里』の方から聞いた話です。

こちらの温泉はもともと 弘法大師(空海)のゆかりのある土地で

大昔、寺院があった場所に立てられた施設だそうです。


だからスピリチュアルな土地柄であり、

この温泉もそのような意味合いがあるそうなんです。


温泉からでている源泉は三つあるそうで

それぞれ掘り当てた時期が違うらしく

それぞれ効用も違うようです。

(含まれている成分や水の形成構造など)

水の構造模型などをみせてもらいましたが、とっても複雑でした。



ただ、おっしゃっていたことは 

科学的なアプローチでも 精神的な(スピリチュアル)な見方でも

同じような内容で

それを聞いていると、本当に興味深かったです。


そのあたりの説明は割愛させてもらいますが

(うまくお伝えできる自信がないので)

わたしなりに理解したうえで 続けさせてもらいます。



さっきの三つの源泉ですが 

金水、銀水、銅水と

出てきた順に名付けられておられました。


大まかにいうと

1 金水 場を整える 

(イメージでいうと 荒れていた水面を整えるような)

2 銀水 軸を作る 中心を作る 

(穏やかな水面に 一滴の水滴が出来たときに波紋がキレイに広がるような)

3 銅水 調和 、つなぐ 共鳴

(同じ波長を持った波が共振して 、繋がりあうような)


このような意味合いの話をされていたと思います。

これで何がいいたいのかというと、 

人が成長 または歩むために必要なプロセスと同じではないか

ということなんです。

それが水のイメージすることで とても分かりやすいなと感じました。


人もまず自分の 場(気持ち)を整えて、こころを乱さないようにすること

その人の軸、 自分軸が見えてくると思います。

そうすると自分らしいは波長が自然と出てきて、

それが同じような人と響きあって、いい出会いが生まれてくるのかなと。


別の言い方をすると、 

依存状態 から 自立した状態 そして 共生できる状態につながっていくんだと思います。

自立した状態(その人らしい生き方をしている)をとおらないと

共依存状態、 しがらみ状態で 結びついてしまうということです。

水のイメージでいうと

波うった荒れた状態を互いに作ってしまうような状態だと、思います。



なんか本当に よく似ているなって思うんです。

同じような解釈が出来るというか、

秩序、成り立ちが同じようで、 水も 人間も  同じ真理があるような感じがして

とても興味深いですね。



水のようにカタチとして 何かイメージできるものがあれば

整理したり、今自分がどこにあてはまるのか 

客観的に置き換えることもできるんじゃないかなと思いました。