昨日大阪で自分の体験談を話して来ました。


話す前はとても緊張していました。

今まで自分の中に塞ぎ込んでいた思いを人前で話すなんて・・・

なんて思われるだろう




でも、話して良かったと思います。

私の中のブロックがとれたから

自分の中の恐れていたものが思い込みにすぎないと気付けたから




それに同じような体験をされている人が後からご自分の体験を話してくれた事が嬉しかった!

私だけやないんやなって実感できたから。



それも来て頂いた皆様が頷きながら話を聞いてくれたからだと思います。

とても話しやすかったです。



来てくださった方

このような機会を作ってくれた皆様

本当に感謝しております。




ありがとうございました。


する事を区切ってみる

時間をくぎる

一日を分けてみる





一つの行動、 一つの出来事を切り取ってみると

それが浮かびあがってくる

意味をもってくる

大事に思えてくる




この前、甥っ子、姪っ子が来ていて

一緒に公園に遊びに行った。

私はこの子達と遊ぶのが大好きだ

楽しい。

童心に戻れるから。


陽が沈みかけて、太陽が赤くなっていた。


遊んでいる子供を見ていてふと思った。



あと一緒に遊べるのは少しだな。

遊んでいる時間はもうすぐ終わる。





残りの時間が大切に思えた。





半年とか一年とか たまに会うから

そう思うのかもしれない。

子供だから、一年で全然変わってしまうからかもしれない。





何でも終わりがある。





あえて終わりを意識してみると、

一つの事が少し意味をもってくる。



それは日常でも同じだ。




一回の散歩でも

一回の食事でも

一回の・・・・。






くぎってみると

少し感じが違ってくる。















生命としてのつながり

自然とのつながりを実感して

自ら分けて、気付いた事

身体のとのつながりを実感しました。



そして、身体と自然もつながっているんですよね。

身体は 食べ物を通じて 自然と繋がっている。


身体自体も60兆という細胞の集合体で一つの生命体です。

自然も大いなる生命体です。

そして、私たちは食べ物と 

口、胃、腸などの一つの管を通じて

命のやり取りをしています。



肺ではいつも空気の入れ替わりがあります。



人間の身体は自然の一部なんです。



その自然の一部である身体をウツワとして

私達は生きています。

人間というのは然から分かれたから 自分と言うのかもしれません。




日頃、町で生活していると、なかなか自然は意識できませんが

意識を変えると、

身体を通じて私たちは大いなる自然といつもつながっているんです。

つながっていると思うと ホッとしませんか?






私は今まで書いてきたように

頭デッカチで、失敗ばかりしてきて

自分はダメなんだと思い込んでいました。

それは ある意味  我とか欲とかを追い求めていて

どんどん大きなつながりからは離れて

小さく小さくなっていったと思うです。

それで、失敗をした。



でも、上に書いたように

自然というもの、大いなるものとの つながりを意識していくと、

また違うやり方があるんじゃないかと思うようになったんです。

私一人というととても小さいですが、

大いなるモノと共に生きれば、別の生き方がきるような気がしたんです。

小さな私一人でやってきた事は限界があって信じられないけど

つながりを意識して生きれば、私だけの力ではないから

信じれるって思ったんです。



なぜなら、それは然をじることだから






このように捉えてたら

少し元気が出てきませんか?

私は大丈夫って思えませんか?



これは思い込みに過ぎないのかもしれない。

けど、

何かあったとき 

しんどい時



私は大丈夫!

と思えたら、

とても心強いと思うんです。


しんどい時に

何で私だけが・・・・と考えるより



つながりを意識して

深呼吸して

大丈夫!!

って思ってから

出来る事をやれば

違う結果も生まれるかもしれない。



私はそのように信じます。