今日仕事中にコーヒー飲みながら、スポーツの公平性について考えてみた。
ちなみに最近俺はデロンギのコーヒーメーカーで淹れたフレンチブレンドにハマっている。美味い!
スポーツの公平性とは?ここではチームスポーツでは無く、個人について考えてみよう。
まず最も不公平に感じるのは採点しか無いスポーツだろう。代表はフィギアスケートや体操だ。素人にも分かるのは転倒や落下などのミスと大技くらいだ。採点などはサッパリ分からんし、人間の主観が左右するはずだから、ある意味純粋なスポーツとは言えない。スポーツと芸術のハーフみたいなもんだろう。
次に採点と決着がある場合。これはボクシングや柔道などの格闘技に多い。KOや一本などの決着があるから、前述の体操などに比べればマシだが、やはり採点や旗があるから公平性に疑問がつく。また決着といってもチャベスとメルドリック・テーラーとの統一戦やバケモン篠原信一とドゥイエとの五輪決勝を見ると、誤審も含め腑に落ちない時も多い。
あとスピードを競うはずなのに、スタート命みたいなものもどうかと思うのだ。100m走やスピードスケートなんかが、これに当たる。風が影響する我らが室伏のハンマー投げややり投げもダメだ。水泳もコース分けが大きく左右するし、過去問題となった高速水着なんかある位だからやはりダメ。
また道具に大きく依存するもの、ゴルフやテニスなんかも論外だろう。
では公平なんてあるのか?
あった!
マラソンだ。これならスタートも道具も関係なく、判定もなく、条件も全員に等しい。でも厳密に言えばシューズの開発力、またはアフリカの選手なら暑いところでやりたいし、日本の選手なら寒いところでやりたい、などと純粋には公平では無いかもしれない。
結論なのだが、結局は公平であって欲しいと希求するだけで、純粋に公平なスポーツなど存在しないのかもしれない。
でも、それこそがスポーツだ。
その不公平さや理不尽や運も含めたスポーツに我々は熱狂し、人生を投影させるのだろう。
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