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PFPへの旅

ボクシングを中心にスポーツや世の中の様々なジャンルを大真面目に考えるブログです。政治経済からアングラまで、知りたいことがあったらコメント欄にどうぞ。

ハグラー。
昨日のブログで80年代の黄金の中量級を簡単に論評したが、今日は一番地味な驚異の男ハグラーに焦点を当ててみたい。
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戦績は生涯で67戦62勝52KO3敗2分。さすがにミドルで無敵だっただけに迫力のある数字だ。
構えはサウスポーだが右にもスイッチする両構えのファイターだ。ハグラーを語る上で見逃せないのは右利きのサウスポーということだろう。利き腕が相手に近いところにあるのでリードブローからフィニッシュブローまでを一番近い拳で使える。つまり右だけでジャブジャブストレートなどのワンツースリーが可能で、時折左を混ぜることでコンビネーションは無限になり相手は怯えたのだ。そして決してミドルでは高くない身長(177)ながら、相手との距離を縮めることに成功したのはタイソンのような踏み込みの速さではない。出入りのタイミングと、まず蹴り足(後ろ足)を踏み込み身体を前方へ預け、今度は軸足(前足)で踏み込んでパンチを繰り出す、要は二段階で加速するのが成功の理由だった。また修行僧のような生活で身体と精神を鍛え上げ、どんなパンチを受けても揺れることすら無い強靭なタフさも身に付けた。

デビューからその強さは瞬く間に知れ渡ることになり、チャンピオンが対戦を忌避したため、世界王座になったのはデビューからなんと7年54戦目だ。日本なら54戦前にとっくに引退してるぜ。その後はご存知の通り世界戦13連勝中12KOという驚異の数字を叩き出す。人々は畏敬の念でマーベラス!(驚異)と呼んだ。

通常このまま過ごして終わりそうなもんだ。ところが下のクラスに無謀ともいうべき男たちが多くいたのが、ハグラーの幸運と悲劇の始まりだった。この下の階級の奴らは「自分がシュガーレイ・ロビンソンになるにはハグラーを倒すしかない。」と考え、まさに自分のボクシングの集大成としてミドルで不沈空母だったハグラーに次々に挑んできたのだ。

まずは無謀筆頭のデュラン。断然ハグラー有利の下馬評の中デュランは善戦し判定までもつれこむ。この試合でデュランの株は上がり、ハグラーは少し評価を落とす。
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そしてデュランの善戦にハグラーをナメた男がいた。そう世界最高のアフロヘアーを持つ、デトロイトの殺し屋、モーターシティコブラ、黄色い大きなトランクスが最高に似合う男ハーンズだ!ところがハーンズは身長差を生かせず、というよりハグラーが前述した踏み込みの速さで突進しワンツーから強烈な右フックをハーンズに当て、失神KOという衝撃の幕切れとなった。何度も言うが、あのトボけた顔と焦点の合わない目、そしてハーンズオリジナルとも言うべき倒れた方・・・最高だ!
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このまま終焉となっても十分伝説だった。ところが神は驚愕のエピローグを用意していた・・・。

網膜剥離で引退し5年も試合から遠ざかっていたスーパーエクスプレス・レナードの挑戦だ!数々の男たちがシュガーレイ・ロビンソンを目指しハグラーの壁に跳ね返されたが、遂にロビンソンを超える男が出現したのだ!下馬評では圧倒的にハグラー有利の中、ハグラーの突進を閃光のようなスピードでかいくぐり、終盤まで連打のスピードも衰えず僅差判定でレナードが勝ったのだ。まさに「二代目シュガーレイ」が誕生した瞬間だった!!ハグラーは専門家からの評価よりも一般大衆化からの支持を望んでいたはずだ。そしてこのボクシング界の太陽を打倒せば自分が太陽になれると思っていた。しかし太陽にはなれなかった。そうして引退を決意する・・・。
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こうして黄金の中量級の伝説は完結した。

ハグラーが幸運だったのはこの男たちがいたからだし、また引退を余儀なくされたのもこの男たちの挑戦だった。ハグラーのボクサーとしての価値と歴史的価値が違うことは承知している。ただ俺はこのハグラーがいたからこそ黄金の中量級は伝説としていつまでも人々の記憶に残ることになったと思うのだ。