ドーハの悲劇回顧 | PFPへの旅

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日本サッカーが世界への扉を開けかかった日・・・。

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今でも語り草になっているが、1993年にカタールで行われたWCアメリカ大会のアジア最終予選。
その時日本は初めてオフトという外国人監督を招へいし、またラモスやカズといったタレントを擁し本気でWC予選を突破する体制を構築していた。
圧倒的な強さで最終予選に進出した日本。当時はH&A方式ではなくセントラル方式(中立国総当たり一国集中開催)で行われ、出場国は対戦する順にサウジ、イラン、北朝鮮、韓国、イラク。開催地は中東のカタールだ。う~ん・・・。中東独特の気候を考えると日本と南北朝鮮には不利な地だ。当時中東側はカタール、極東アジア側はマレーシアでの開催を希望しもめてたもんなぁ。

オフトは当時無敵のACミラン、アリゴ・サッキの提唱するプレッシングサッカーを導入する。特長は今まで個々の才能に任せて何となくの決めごとでやっていた戦術を、一人ひとり細かい決まりごとを作り、全体ではゾーンで守る、そして攻撃ではサイドバックのオバーラップを中心にサイド攻撃を中心にするといったものだ。具体的な名前を出すとこうだ。まずデフェンスは左に都並、右に堀池、中央に柱谷と井原、左の都並にはラモスとカズの読売ラインの連携を考え攻撃的に、そして左右の守備のバランスを取るために右の堀池は守備的に。ボランチである森保は守備とつなぎに徹しさせボールを流す役目。そして攻撃は福田に突破力とラモスのパスセンス、トップは不器用ながら高さと強さのある高木をターゲットマンにしてそのこぼれ球をカズや福田が押し込むといったものだ。今では結構当たり前となった戦術も当時としては斬新だった。生命線は都並の精度の高いセンタリングとラモスのゲームメイク能力、そしてカズの決定力だ。しかし怪我で攻撃の要の一つである都並を失ったことで日本は悲劇への一歩を踏み出す。

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当時は勝ちに2点引分け1点という勝ち点制度に於いて6ケ国総当たり戦では7点なら突破確実、6点なら得失点差勝負となっていた。専門誌も含めた最終予選の皮算用はこうだ。
まずサウジ・イラン・北朝鮮に二勝一分け(勝ち点5)、もしくは1勝一分け(勝ち点4)、で韓国には負けてイラク戦で勝って勝ち点7or6を獲得するといったものだ。実力的には北朝鮮が少し落ちて他は拮抗しているとの見方が大勢だ。当時世界中の試合を見てアジアサッカーにも精通していた俺はアジアが生んだ最高のストライカーであるアメード・ラディを擁しヨーロッパでも活躍する選手がいるイラクが最強で、逆に個人の強さを前面に押し出し古典的なサッカーをする韓国は弱いと考えていた。その俺の予想は良い意味でも悪い意味でも的中してしまう。

初戦サウジ。互いに固くリスクを犯さない戦術でスコアレスドロー。福田が痛い・・・。

2戦目イラン。ここでラモスがイランの大型DFにガツンと食らわされ、ビビったのか急激に動きが悪くなる。攻撃の形が作れなくなった日本は前のめりになり、その隙を突かれ憎っきダエイに2点取られる。痛すぎる・・・。しかしここで歴史に残る感動の中山のゴールが生まれる。結局1-2で敗れたが、日本を奮いたたせる中山のゴールだ。

後が無い日本は三戦目の北朝鮮で初めての布陣に変える賭けに出る。ターゲットの高木を外し、カズ、中山、健太の3トップにし、ラモスをプレッシャーの弱いボランチの位置まで下げたのだ。この賭けが見事に当たり、ラモスが息を完全に吹き返す。結果3-0で初勝利。

勝ち点5or4を想定していた日本はここまで勝ち点3。絶望的な状況だ。残り二戦を最低1勝1分けで乗り切らなければならない。一敗も許されない状況だ。

4戦目韓国戦。みんなやたらと体がキレている。特に健太が良い動きだ。 一進一退の攻防が続いた後半、ラモスからのパスを受けた吉田が左から何となくのセンタリングを上げる。ゴール前にはカズと健太が押し寄せている。おおぉ、カズ空振り・・・。おおおぉ、健太不発・・・。もう駄目だ・・・。
ところが空振りしたはずのカズが何故かボールの前にいて渾身のゴォォォォォール!!!1-0の勝利。この歴史的勝利に日本は酔いWC出場確実とまで書いた新聞もあったはずだ。

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最終イラク戦。場所はドーハのカリハスタジアム。勝てば自動進出。分ければ他会場の結果次第。何とここまで全チームが進出する可能性を残す大混戦だ。
試合前半、キレている健太のシュートがバーを直撃するとその跳ね返りをカズが頭で押し込み先制!ところが後半から日本の動きが極端に落ちる。そこを俺が最も警戒していたラディにやられる。このままではやばい。そこで奇跡の男中山がラモスのスルーパスからゴール!!誰もがWCを確信しロスタイムに突入する。ここからのシーンは説明しなくてもいいだろう。しかし当時ライブで見ていた俺は本当に意味が分からず、「えっ、オフサイド?キーパーチャージ?反則?ホイッスル鳴ってなかった?」など同点になったなどとは思いもせず、本当に空白の記憶と言っていい。後にも先にもあんな経験は初めてだ。

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経験不足も大きいが、あれは神が日本サッカーに与えた試練だろう。付け加えれば当時アメリカとイラクの湾岸戦争の後遺症でイラクを入国させたくなかったアメリカはFIFAに圧力をかけ、イラク戦での中山のオフサイドゴールを後押ししたのだ。言いたくないがあれは絶対オフサイドだ。
しかしこれこそが「This is football」。まさしくこれがフットボールなのだ。そしてこの「ドーハの悲劇」は「ジョホールバルの歓喜」へと繋がっていくことになる。