ザ・シュガー!! | PFPへの旅

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シュガーレイ。世代的なものも大きいかもしれんが俺の中でシュガーレイといえばレナードを差す。とりあえずモズリーは「シュガー」を名乗るのはやめてもらおう。

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歴史上最も強かったボクサー、成功したボクサー、早かったボクサー、巧かったボクサー、タフだったボクサーは他にいるが、最も影響を与えた偉大なボクサーはレナードだ。
戦績は40戦36勝26KO3敗1分。76年のモントリオール五輪で金メダルを獲得し、翌77年にプロデビュー。五輪でスターになったレナードにはデビュー戦から全米中継があったほどで、まさにボクシング史上初のアイドルといっていい。2年後の79年にはプエルトリコの英雄ベニテスからウェルターのベルトを奪取する。ハーンズの世界初挑戦と比べると雲泥の差だ。
アイドルから本物のチャンピオンに脱皮しつつあったその頃、後に伝説の4人となるうちの一人デュランに捕まる。この中南米が生んだ最高傑作は圧倒的不利を覆し、レナードに打ち勝ち判定勝ちする。スター街道まっしぐらでくるとこういった挫折で終わってしまうボクサーも多いが、レナードはこの挫折で飛躍する。半年後にはデュランをKOしリベンジを果たすと、翌年はカルレからSウェルターのベルトを奪取。その勢いで終生のライバルである無敗ハーンズと統一戦を行い逆転のTKO勝ち。アイドルからスーパースターに完全に飛躍した。

ところが「好事魔多し」。ハーンズ戦後網膜剥離で引退。
そのまま終わればスターの一人として語り継がれるだけだった・・・。

ところが引退してから5年、シュガーレイは本物のシュガーレイを超えるために突如復帰する。
不沈空母ハーンズへの挑戦だ。詳細は以前のブログに譲る。
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レナードは何故輝ける太陽となったのか?
最大の理由はアメリカ人のメンタリティと合致したことだ。日本的な陰で地道に努力をして成功するといったハグラーのような人間はアメリカでは評価されない。要は暗いのだ。
アマチュア時代から底抜けに明るく、人々の期待に完璧に応え、また華麗かつスピーディなボクシングをアメリカ人は愛したのだ。そして悲劇のヒーローとして人々が涙した5年後の復活劇。それも無敵ハグラーへの無謀ともいうべき挑戦。人々の精神を激しく揺さぶったこの試合はアメリカンドリームの復活ともいうべき奇跡の劇だったのだ。
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未だレナードを超える人間は現れていないと思う。レナードを超える存在・・・。それはボクシングの歴史が変わる存在だ。
・・・マニー・パッキャオ。恐らく彼がアメリカ人であればレナードを超える存在となっているはずだ。しかし彼はアメリカ人ではない。パッキャオがレナードを超えるにはメイウェザーをKOすることしかないが不可能だろう。しかし不可能を可能にした男こそがレナードなのだ。
レナードを超える瞬間。それは不可能を可能とし、人々の魂を揺さぶり、歴史が動き完結する時のはずだ!

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