AIとかオートメーションとか・・・流行りです。流行っております。

「えーあい」とか「あいてー」とか、そういったものに期待すれば幸せになれる?

 

AIが与えた夢と希望と恐怖に対し、実際現実どの程度本当なのか?をまとめた本、

「仕事の未来『ジョブ・オートメーション』の罠と『ギグ・エコノミー』の現実(小林雅一)」を冷蔵庫に入れた。

 

【要約】

 AIが流行っている。それらの進歩によって人は労働から解放されるのか?それとも失業し路頭に迷うのか?

少なくとも現在の技術では、そこまで大きな影響はない。AIは巷で想像されているほどには高性能ではない。

結局は、人がそれをどう使うか?それとどう関わっていくか?それを考えていくことが大事。

 今の技術でできること/長所、できないこと/短所は次の通り(各々の番号がセット)。

 

<できること/長所>

①ディープラーニングによるパターン認識(音・画像)により、音声を判断して反応する、資源ごみを自動でえり分ける。

②マッチングシステム(ウーバーのタクシーアプリ)によって、働く時間・程度を労働者が主体的に決められる。

③監視カメラ、画像認証、オンライン決済により、無人決済コンビニができる。

④医療診断ロボにより、医療技術・人員が未整備な国でも正確な診断が可能。

⑤チームの成果とチーム構成員の能力やコミュニケーションをAIが分析して、より良い働き方を提案する(Google)

 

<できないこと/短所>

①パターンを教えるための教師(人間)が必要。教え方は、何万通りの音声や画像と、それが表すモノを入力する。

 非常に単調で苦痛を伴う。画像認証機能の例外への対処は難しい。

②ある程度の水準の生活を維持するには、通常の仕事と同等以上に労働時間を確保することが必要。

③人間のような汎用機能を持ったスーパーAI、スーパーロボットは実現不可能。

④診断の元になるデータは人間の医師の判断であるので、人間でも考え付かないような素晴らしい診断・治療法の提案はできない。

⑤AIが作業者の動作を確認し、作業指示や監視を行い、作業者の評価を下し、人間をロボット化する(amazon)

 

 

 

【考え事】

・AIに何かを学習させるには、何十時間も何万パターンもの入力が必要で、実は人口集約型労働で成立している。

女工哀史に謳われた紡績業との類比が示唆されているのが印象的。結局、そんな都合の良いものは無いということか。

 ただ、紡績業と違うのは、AIはプログラムである以上、複製が可能ということ。新たなパターンを教えるために

教師を必要とするとしても、一度学習が住んだパターン識別は容易に個体間で共有できるはず。

 一定数の間違いを許容してやればどうか?本書ではゴミの分別ロボットの事例が挙げられていた。そこでは、

例外的な外見を持つゴミに対しロボットは反応できず、それが現れるや否や、現場に急行し、例外を教え込む人間が必要・・・

となっていた。しかし、完璧を捨てれば?たまにゴミ分別を間違えて支障が出るか?人間がロボットの限界に合わせて

考え方を変えるのは本末転倒か?

 それも目的次第か?人口減少による労働力低下に直面してる社会ならば、限られた労働力を割り振る先に

優先順位をつけることもありうる?

 

・最近、翻訳フリーソフトの成長が目覚ましいというが、どうにも信用できない。

やはり最後の最後には、機械に責任が取れないと思う。「この翻訳ソフトいいよ~」と言われても。

それを使ってノーチェックで仕事をする気になれない。

 英文契約書を自動翻訳で理解して締結したとして、あとで見落としや誤訳を発見したとしたら?

翻訳ソフトのミスです、で片が付くのか?そんなはずは無い、と思う。

 となると、機械が判断したことを、責任をもって判断するのが人間の仕事か。だが、それをどうやって判断する?

機械がチェックしたものを、すべてチェックし直していたのでは意味が無い。だが、どこまではチェックしなくても信頼できるのか?

そこの線引きはどうする?

 しかし一方現実は異なる。人間の部下を持っているが、彼らの仕事を100%チェックしているわけでは無い。

であるが、それでも仕事は回るし、ある程度の成果も出る。すべてをチェックしているから責任が取れる、というわけでは無い。

そんなことはしていない。

 

・機械に責任が取れるようになったら?そんなこと、できるようになるのか?そもそもなんでできないのか?

責任を取るというのは、悪いこと(降格・減収・解雇・叱責・評価失墜)を引き受けること。

一種の罰の側面を持っている。それらを「悪いこと/嫌なこと」と感じることが無ければ意味が無い。

 プログラミングの重みづけで、一定の行動を忌避するように仕向けることはできるはず。

ただそれはあくまで「フリ」に過ぎない。本当の感情ではない。だとすれば失敗により機能停止させられることを

嫌がるふりをする機械があったとして、それは罰になりえない。責任を取るとは言えない。

機械は自分の消滅を本当に恐れることができるのか?本当に恐れるって何だ?