本日義弟から
ちょうどこの前
甥っ子が遊びに来た時
ご馳走した
鰻ランチのお礼のLINEがきて
『あのね、色々考えたんだけどお墓に埋葬はせずに
自宅で供養していこうと思うんだ』と伝えた
義弟から
『◯◯ちゃん(←私)が
きっと沢山考えて出した結論なら俺たちは
いいと思うよ😊またそちらに行く時お参りさせてね!』
よかった
私の気持ち
想いは
ちゃんと伝わったようだ
読者の皆様
前回のブログで
沢山のコメントを
ありがとうございます
一つ一つ
頷きながら
考えながら読ませて
いただきました
ふと考えてみました
なぜ
夫が亡くなった今も
私はブログを記すのか
もう闘病ブログでは
なくなってしまったのに
ただ言えることは
間違いなく
このブログが私の
一番赤裸々な
本音を語っています
見栄っ張りで
言葉足らずな私
だから
友人の前や職場でも
明るく振る舞っています
元気なフリをすることが
随分板についてしまいました
両親や娘すらも知らない
ほんとの私が
ここにはいます
その私をいつも支えて
くださっているのは
間違いなく
ブログの中の皆様です
コメントのやり取りを
していただいている方
メッセージのやり取りを
している方
LINEでも沢山励まして
頂きました
ここでの出会いには
感謝しかありません
ここがあったから
夫が亡くなってからの
5ヶ月を乗り越えて
こられたのです
50歳
2年前の夏
夫の命の期限を
ある日突きつけられ
縋るように
仲間を探したくて
書き記し出したこのブログも
あの日から2年を超えました
本当はずっと闘病記で
あり続けたかったです
夫の治療のことを
今も書いていたかった
正直
手術にたどり着く可能性も
寛解も
夫にはないと
頭ではわかってはいました
腫瘍の位置
大きさ
併発癌
腫瘍マーカーの値が
初めから桁違いでした
それでも
もう少しは時間が
残されているんじゃないか、と錯覚するほどに
夫は最後まで
夫のままでした
自分で車を運転して
入院し
錯乱などもなく
周りに気を使い
最後まで穏やかな人でした
残念ながらこのブログは
闘病記では
なくなり
ひとり親
母子ニャン家庭の暮らし
死別妻の葛藤
中学生の娘を抱え
死後の手続きに奔走する
そんなブログです
それでも
いつか娘がもう少し
痛みを受け止められる
大人の女性になった時
夫の思い
私の気持ち
私達は幸せな
三人+①ニャン
家族だったことを
どうか忘れないでほしい
いつか大人になった娘に
読んでもらいたいと
思いながら続けています
そしてここは
私の色々な葛藤を
供養して昇華させる
場所でもあります
そして何より
分かち合いの場でも
あります
顔を知らない相手でも
大きな支えとなり得ると
この歳になり
学びました
私のブログも
悩めるどなたかの
一助になれたら
こんなに嬉しいことは
ありません
これからも
どうぞ宜しくお願い致します🙇