1年前のあの日


4月15日の真夜中


日付が変わって

正確には

もう16日に

なっていたかも知れません


あの日

私と娘は


夫を

そして父を亡くしました


夫の弟は

両親を亡くしてすぐに兄を


私の両親は

愛すべき婿を


親族たちは

頼りになる本家の長男を


それぞれが

それぞれの立場で

失いました


1年という節目


お供えものや

お花が届き

夫の写真の周りは

いつもよりも賑やかです


夫のために

心を寄せてくれた供物は

とてもありがたいし


この人たちに

支えてもらっていることを

実感します


特別なことは何もしません

学校に行き、会社に行きます


1日たりとも欠かさず

夫を想い出しているから


これが私なりのやり方です




この1年

喪失感と向き合ってきました


夫の最期のことは

今も鮮明に覚えています


しかしブログには全てのことは

書いていません


記憶の全部を記すことは

私はこの先もしないと思います


私達だけの時間


この世で

もう私の頭の中の記憶にしか

ない瞬間


それも私にとっては

大切な宝物だからです



あの瞬間

病室で夫の呼吸が止まったことは

素人目にもすぐ分かりました


闘病中は

苦しむ姿を沢山見てきたので


悲しみよりむしろ


夫が全てから解放されたことに

安堵した気持ちでした




真夜中


自宅から

主治医が駆けつけてくれての

死亡確認


そして

夫が予め決めていた葬儀社に

連絡して


そこからは

ベルトコンベアのようでした


葬儀や火葬では


喪主という立場で


何処か他人事のように

テキパキとこなしていたと

記憶しています


これは仕事、ミッションだと

思い込もうとして


多分あの日

ほとんど私は泣いていません


娘がずっと

私の背中を見ているのを

感じていたし


周りも

みんな私を見つめていた


その中で

見栄っ張りで

プライドの高い私は

冷静にふるまう妻・母・娘を

演じきりました


それが良かったのか

悪かったのか


今となれば

もう私には分かりません



それからの日々


春・夏・秋・冬


切なさをいつも携えながらも

賑やかに

目まぐるしく過ぎました


恵まれた周りの環境に

感謝しながら

九州で暮らしてきました


娘とニャンコとの暮らしは

夫がいないことを除いては

変わることなく続いています




夫の膨大な手続きを

こなしながら


家事

娘のこと

仕事


一通りやってきた

自分をそこは褒めたい


この1年

己がやるべき事は

逃げることなくやってきた


そんな自分を誇りに思います





ただ

思えば


夫が亡くなってから

涙が滲むことは多々ありましたが


一人でも

人前でも


声を上げて泣くようなことは

一度もしていません


何故なのでしょう

何故

私には出来ない?



自分の中で


夫の死を受け入れたことに

なるような気がしているのでしょうか


泣いても現実は

何も変わらないと

心が諦めているのか?



きっと

死別2年目も


こんなふうに

色々な感情を内に秘めながらも


それを表に出すことは出来ずに


頭の中では

ややこしいことばかり

考える

そんな私のままでしょう



40代も後半戦に入ります



観たいもの

やりたいこと

食べたいもの

会いたい人

沢山沢山あります


それは幸せなことだと思います



今年は特に

娘との時間を大切にしたい

母娘の二人旅を沢山したいです


あと数年で成人して

おそらく一人暮らしをする娘


本人は東京の大学を

夢見ているようです


その日

娘を笑顔で送り出すために


暖かい記憶や思い出を

私のなかに残しておきたい


そう思っています 


この日を迎えて

心乱れることを予想していましたが


不思議と今は

穏やかな気持ちで

今日この日を迎えています



このブログを

いつも読んでいただいたり

コメントをいただいたり

仲良くしていただいたり

支えてきてもらった

皆様には感謝しかありません


どれほど

救われていることでしょうか



不器用な私が

本音を書いているこの場所は


夫の闘病中も

亡くなってからも


私には

オアシスのような

安らげる居場所なんです


色々面倒くさい奴ですが


2年目も変わらず

お付き合いいただければ

こんなに嬉しいことはありません