続きです。

 

 

通院が終わり、グループホームへ戻る車の中。

(1月末のこと)

 

 

おばあちゃん「私、なんであそこにいるの?いつからいるっけ?」

 

お母さん「10月からだよ」

 

おばあちゃん「えー!いま何月?1月でしょ?

ってことは…もう4か月もあそこにいるのー?

そこら辺の記憶が、全然ないわ」

 

 

なんであそこにいるの?

という質問には答えず、話題を変える。

 

 

お母さん「そんなに薄着で、寒くないの?」

 

おばあちゃん「薄着じゃないわよ?ちゃんと(ダウンベスト)着てるじゃない」

 

今日の義母の服装、

ヒートテックのタートルカットソーに、ポケッタブルなダウンベスト。

 

お母さん「それ、家にいた時なら、梅雨時か秋の恰好だよ。

セーターも持って行ってるのに、着ないの?」

 

おばあちゃん「ああいうところは暖房が効いてるから、これで充分なのよ」

 

ズボンだって、夏も履いていたもの。

冬は、裏起毛のズボンの中にタイツを履いていたのに、

足首が見えている。

 

お母さん「寒がりの義母さんが、良かったよ。ホームはあったかくて、快適だね」

 

おばあちゃん「そうよ、お風呂も入れて、ゴハンも出てきて、テレビをみてるだけ。

なーんにもすることがなくて、ただ生かされてる

 

お母さん「…穏やかに過ごせて、なによりデス」

 

おばあちゃん「昔はね、家で看取ったものよ

 

お母さん「看取りって…それは寝たきりになったり、もうお迎えが近い人の話でしょ汗

義父母はまだまだ元気だから、さくら館で暮らしてるんだよ。

グループホームってのは、職員さんがいるけど、自分で動ける人が共同生活をするところなんだから」

 

おばあちゃん「そうなのね。今はいろいろな施設があるのね、よく分からないけれど」

 

お母さん「義父母とも、しっかり年金をもらってるから、さくら館で暮らせるんだよ。

私が将来もらう予定の年金じゃ、とても払えない。羨ましいわ」

 

 

そんな話をしているうちに、ホームに到着。

 

おばあちゃん「今日はお世話さま。気を付けて帰ってね」

 

お母さん「うん、また来月ね」

 

 

 

義姉🐶に、このやり取りを話すと、

 

🐶「私にはもっとストレートに、なんでココに居なきゃいけないの?家にいちゃダメなの?って言うよ?

わかってるのよ、家にいるには嫁ちゃんの世話にならなきゃいけないこと。

そうやって遠回しに言うだけ、ってことは、施設にいるのを選んでるんだから、これでいいのよ」

 

 

私もそう思う。

 

 

家で看取ったものよ

→可能な限り家で看るものだ、って、遠回しに言ってるよね。

 

しかし…

ただ生かされてるって滝汗

 

べき思考の義母にとって”やるべきこと”がないのは、

ストレスからの解放でもあるが、

生きる意味もない、ってことか…