連載『75歳の義母が車を手放すまでの日々』
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2019年8月うつ期は終わり、
9月の心療内科の受診日
「お陰様で元気になりました!」
「躁、ですね。でもまだ車の運転はやめておいたほうがいいです」
家族は、主治医にやめておいてと言ってもらえて、ホッとしていた。
すると逆に、その診察の翌日から、
「運転もういいでしょ?運転忘れちゃうわよ、どうしたらOKになるの?」
「先生ダメって言ってたよね。元気が良すぎるのも危ないんだって」
嫁にだけでなく、義姉たちにも
どうしたら運転にOKをもらえるのか、何度も電話して聞いていた。
元気(躁)になったから、先生が運転OKしてくれると期待していたようだ。
お墨付きをもらうはずが、ダメ出しをくらってしまったね。
主治医にも言われたことだし、運転はしないだろう、と信じて、
二階で預かっていた、車のカギは、定位置の引き出しに戻した。
『運転はしばらくお休みしてください』のメモを付けて。
みんなで、のらりくらりと義母の要望をかわし、9、10月は運転させてもらえず、
11月になった。
運転したかった義母には、酷だった、だろう。
「誰に聞いても、みんな、車のOKは出せないっていう!
じゃあ、誰がOKって言ってくれるの?そもそも、私は出来るって言ってるじゃない!
私は運転するって決めたわ」
そう宣言した翌日、
嫁の居ぬ間に、車で出掛けてしまい、無事に帰って来た。
その晩は、かえって気まずくて、誰も、運転したことに触れず、一日が終わった。
さて、強行作戦がうまくいった義母は、この後も運転するよね。
どうしたものか、と数日悩んだ嫁は、
翌々日、意を決して、義母に話を切り出した。
しびれを切らした気持ちもわからなくはない。しっかり聴こう。
~続く~