【ありがとう!燃える闘魂 アントニオ猪木】
小学校の頃から、プロレス中継で興奮させてくれたアントニオ猪木。
高校1年の時に読んだ『たった一人の闘争』で政治に興味を持つきっかけを作ってくれたアントニオ猪木。
イラクでの邦人人質解放などに尽力され、学生時代に中東の学生との交流サークルに入るきっかけを作ってくれたアントニオ猪木。
プロレス中継の仕事として、会場でインタビューさせていただいたアントニオ猪木。
橋本真也に小川直也を仕掛けたり、格闘技路線を新日本に導入したときに本当に嫌な存在だったアントニオ猪木。
プライベートでご飯を食べに行き、世界のいろんな話を聞かせてくれた会長。
私の最初の選挙から応援に駆けつけてくれて、演説とビンタをしてくれた会長。
北朝鮮やイラク、キューバなどなど、裏であっても話せるパイプだけはいつも作っておくことが大切と力説していた会長。
アマゾンの森林破壊や温暖化など、環境問題に誰より早く問題意識を持ち、行動に移してきた会長。
永久電気でエネルギー問題を解決するなど、無謀と人から言われても常に大きな夢を追っていた会長。
過去の話は全くせず、今と未来への意欲しか語らなかった会長。
ご飯を食べる時はいつも奥さんであるズッコさんの血糖値チェックを素直に聞いていた会長。
ズッコさんが亡くなった時、電話口で泣きながら弱さを見せてくれた会長。
ズッコさんが亡くなった後、元気ですかー!といつものように電話した時、「それが、最近元気がねえんだよ」と初めて弱気を口にして入院した会長。
福岡県知事が辞職した際にも電話を掛けてきて「ここだけの話、知事選に出るの?」といつも気にしてくれていた会長。
病床からの電話でも、プラズマで二酸化炭素を出さずに世界のゴミ問題を解決したいと意欲に燃えていた会長。
今年、青森で会長と一緒にズッコさんのお墓の建立式をした際、会食中に初めて聞いた後悔の言葉が「俺は病室の天井を見ながら、もっと本を読んでおけばよかったって思うんだ、、、」最後まで向上心しか無かった会長。

かつて古舘伊知郎さんが上半身のシルエットをママレモンと表現した最強の逆三角形が、最近は衰弱して小さくなっていましたが、決して逃げることなく最後の闘魂をYouTubeで発信し続けたアントニオ猪木。

どうしてこういう状況でもYouTubeを発信するの?と思う人もいたと思いますが、会長はある雑誌のインタビューでこのように話していました。『お迎えが来たら、潔く旅立とうとは思っているんですが……年を取ろうが、体が弱くなろうが、チャレンジし続けることこそ人生。それが“燃える闘魂”なんです』

人生の成功体験を教えてくれる先人はたくさんいますが、枯れていく肉体と死への向き合い方を刮目して学ばせていただきたいと思ったのは会長が初めてでした。

まさに最期まで闘魂を体現して、カウント2.9で何度も立ち上がったのですが、、3カウントが入りました。

心の準備はしていたのですが、今、悲報に接してみるとやはり実感としては信じられません。
振り返れば、子どもの頃から会長の影響を大きく受けて今の私があります。
いただいた言葉と闘魂を胸に、猪木イズムのバトンを次世代に繋いでいきます。

会長、本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。
天国でズッコさんと最高の笑顔で過ごしてください。

今夜は『炎のファイター』をリピートで流そう
































福岡市長 髙島宗一郎