後悔したくないけれど | アラフィフ主婦の日常

アラフィフ主婦の日常

前立腺癌の父親を1月に見送りました
闘病・介護
その後の事
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大学生と浪人生の子供の事等、
日常を書いています

たまには 明るい話題でもと思いつつ、一時帰国している主人がいても、然程、普段と生活は変わりないなあえー

 


さて、父親が病気になり、今後、要介護状態になった時の事が、以前からずっと頭の片隅にある

 

何故かというと

他界した母の闘病生活に、今でも後悔の気持ちがあるから

 

私達家族がアメリカから本帰国した直後、バタバタしている頃に、突然、母の病気が発覚

末期の状態で、見つかって僅か4か月で他界

 

母は、定期的に内科に通院していた


後で、かかりつけ医に報告に行った時に、検尿で潜血が出ていたと医師から聞いた

 

しかし、医師から母には総合病院で精査するように説明がされなかったようで、医師は私に謝ってきた

 

その時は、悔しくて、もっと早くに紹介状を書いてくれていたらと言いそうになったけど、亡くなってから言っても仕方がないと思った

 

母は、腎癌で骨や肺転移の状態で見つかった

貧血も進んでいたようで、かかりつけ医の所に通っている頃から、倦怠感をよく訴えていたそう

 

海外にいた事で、両親のことを気にかけていなかったのが悔やまれる


母は、化学療法は拒否した

腎臓癌は化学療法が効きにくい事と、副作用が怖いからという理由で、緩和ケアに移行するしかなく、突然、父の介護生活が始まった


家事全般は、父親が不慣れながらも頑張った


徐々に自分で移動が出来なくなり、訪問看護を入れようと思っていたけれど、母は自分の家に外部の人が入るのを嫌がった

 

ケアマネや主治医への連絡、通院介助、薬の管理やバイタルチェック、摘便や入浴介助など…

は、私が日中にした


寝たきりになってからは、訪問看護に少しだけ入ってもらっている

 

当時、自分の家の事をしながら、帰国したばかりで日本の小学校生活に子供が慣れず、色々とフォローが必要で、多忙な日々の連続

 

緊急時は、いつも私の携帯📱が鳴ってくるので、気持ちが落ち着かない毎日

 

途中、慣れない介護疲れで父親は倒れた


私の姉は仕事をしており、週末にやってきて、差し入れと会話を少しして帰るだけ

 

そう、姉は介護を全くしていない

 

今度は、父の介護が待っている

父は1人暮らしなので、体調が悪くなると不安が増すし、体調不良になれば一緒に側に誰かが居る必要がある

 

母は、最後の方に呼吸不全の状態になった

私は自宅でのセデーションを希望していたけど、そうはいかず、病院で苦しみながら亡くなった

 

母親は

「なかなか楽に死ねないな」

「痩せたやろ」

「死ぬ事は受け入れられるけど、息が苦しい」と、言っていた。

 

多分、姉はこんな母の発言は知らない

週末と亡くなる数日間しか実家に来なかった


(勿論、当時、学費を稼ぐ必要があった事や介護の事が分からず、理解出来る部分もある)

 

そんな経緯があるので、父親の病状だけでなく、今後の在宅療養へ不安が常に消えない


また、父の通院先の病院には、緩和ケア病棟とういうものがないのも不安材料の一つ悲しい

 

この間、ケアマネさんと話していた時

「娘さん、当時、病んでたね」

と、言われた


当時、私に気持ちの余裕はなく、相談相手がいなかったように思う

 

母の在宅療養中、父や姉と喧嘩をしたり、母には不安な思いばかりをさせてしまった

 

母は、亡くなる前日

「一番 世話になったなあ。ありがとう」

と、私に言ってきた


この言葉は、未だに忘れられない

 

父には、母と同じ思いをさせたくない


母が他界した後、

後悔の気持ちが強く、在宅療養の事を学ぶ為に、訪問看護ステーションでの看護師の仕事を選んだ


父の在宅療養の時に、少しでも役に立ちたい