さいごのぶろぐ:田代遥菜 | 日本初!現役女子高生アイドル学校の日常〜SO.ON projectのブログ

日本初!現役女子高生アイドル学校の日常〜SO.ON projectのブログ

こんにちは☆
私たちは大阪スクールオブミュージック高等専修学校に通う現役女子高生によるアイドルユニット
『SO.ON project』です♪
日本初!文部科学省認可のアイドルの授業です!
活動報告や学校生活などなどブログに書き込みますので、ぜひチェックしてくださいね☆


こんにちは、こんばんは🍌

SO.ON project OSAKA 9期生
MY SCHOOL 3年生の田代はるなです。

3月22日をもって私は、
SO.ON project OSAKAとしての活動を終了しました。



いつも応援してくださった皆さんに伝えたいこと沢山ありすぎて22日のYouTube配信の時、語彙力の無さで上手く言葉がまとまらなくてほぼ何言ったか記憶にないんです。😑
だから、自分の口からではないけれど自分の言葉で沢山の感謝と沢山の想いを今から書こうと思います。

私がSO.ON projectに入ったきっかけは、
同期の佐藤あゆかの誘いがきっかけでした。

その時の私はSO.proなんてこれっぽっちも入る気なんてなくて、ダンスは中学校の体育祭とかくらいでしかしたことないし、ましてやアイドルなんか無理に決まってるって考えてました。

だから入ってもついていけないし、
すぐにやめようと決めてお試しで授業をうけました。
案の定、ダンスについていけない、
まずダンスの基礎がわからない、
でもみんなはついていけてる、
なんで自分はできひんのやろ、
なんでわかりたいのにわからんのやろ、
そんなことばっかり数時間のうちに頭に浮かびました。

だからやめる、やっぱり自分は無理。ってそう口から出るはずなのに、なんか無性に悔しくてこのまま終わってたまるもんかって気持ちが強くなっていました。

そしてSO.ON project 7期生に入りました。

初めての正式な練習の時、覚えないといけなかった曲が
『HEY YOU!』と『world is yours』、『冒険者たちよ』..『21st century girls』『早く大人になりたい!』でした。

田代の頭は大パニックになりました。笑

みんなは先々進めてるのに自分はまだ最初のポーズからできない、やっと追いついたって思った時には、みんな次の曲に入っていて。

悔しい気持ちとしんどいって思う気持ちと
振りを間違えてサポートしてくださってる先輩の頭に手をぶつけてしまったり先輩すみません何回も…って気持ちとで今より泣き虫弱虫やった自分は泣きたくないのに涙が出てきて。でも、その時たった1人のまだ名前も知らないこんな弱虫のために、当時の2,3年生の先輩が手を差し伸べてくれました。

『泣くかなくていいよ、大丈夫。できるようになるから。一緒に頑張ろう。ゆっくりでいいから。』その一言一言すべての言葉があたたかくて、だからこそやらなきゃいけないともう一度決めて家に帰り練習して…その繰り返しの毎日でした。

どれだけ練習しても全然まだまだみんなには届かなくて、
いつも同期の背中をみて、まだまだ未熟なんやろうけどそれでも自分にとってはみんな誰よりもカッコよくて。尊敬してる人たちで。





でもそんな毎日を繰り返していると
気づけば応援してくださるファンの方がいました。
Twitterにメッセージを毎日くださる方、
特典会に来てくださる方…
1年生の頃の自分にとっては、本当に本当に嬉しくて、
その出来事が私にとってソープロでの活力、
支えの一部になっていきました。

後期になってから今まで経験したことなかったイベント事が積み重なっていきました。

今だから言える話。
1年生公演は、沢山同期がぶつかってました。笑

多分誰よりも泣き虫だった田代よりも
みんなの方が泣いてたんちゃうかなって。。🤔

(髙木みおは相変わらず笑顔でした。笑)

でも沢山ぶつかったから
1年生公演があんなに楽しかったんやろうなぁ。。
夢のPieceではソロもさせて貰えて。
だから夢のPieceはいつも歌うたびに、
あの時の光景だったりを思い出しては、1人浸ってます。笑



語り出したら長くなるから1年生の頃の自分のブログみてください😕笑




そしてはじめてのZepp単独公演。

1番印象に残ってるのは
『Dear My Future』の初披露メンバーになれたことです。
まあ。。でも、衣装を座る時に踏ん付けちゃって、ずっと尻尾はえてたんですけどね。笑

そっちの方が印象に残ってるかも。。😅





KIL(関西アイドルリーグ)初選抜もすごい嬉しかったなぁ。。


そしてあっという間に7期生から8期生になって。




2年生になって1番最初の壁は
修学旅行という大イベントでした。

このイベントは私にとって、この3年間で1番ソープロを考えて1番悩んで多分すごいもがきました。

今までとは比べられない程の責任感と、
背中を追いかけてた同期メンバー達の前に立ってるという
息苦しさがありました。

ただただ自分なんかがって想いしかなくて。

いろんな先輩に相談をしては悩んで相談して。

自分でも気づかないうちに自分の首を絞めていたことに
あまりわからなくて。

何回も倒れて、何回も泣いて、
まとめなきゃいけないやつが
弱虫で、迷惑かけまくって。

それでも最後に気づけたことは、
やっぱり同期が同期でよかったって想いはもちろん、
自分が気付いてないだけで大きな支えだけじゃなくて
小さな支えもあって本当に自分にとって大事な場所なんだなと感じました。

みんながいたから最後までやり遂げれたし、
最初はバッドエンドだと決め付けてしまってた自分も、
最後はみんなのおかげでハッピーエンドになったんです。

配信で三阪れみなが言ってくれたんですけど、
オーストラリアの学校でHSクワイヤーの皆さんと
披露させて頂いた『アシアト』が学校の教材にもなりまして。もう本当にその事を現地で聞いたときは本当によかったの一言でした。





その後、自分たちの代が中心になっていろんなことを決めていく機会が増えていきました。

気づけばあっという間に3年生で、9期生になって。



9期生になったとき、やっぱり3年生ということもあって真剣に進路を決めなきゃいけない時期になってきていて、考えたときに、他のことよりただ1点だけ歌に対して自分自身に対して向き合いたくなって、でも誰かに相談すると自分の気持ちもまた何かのために揺らいでしまいそうで同期メンバーになにも言わずに履修を突然外したんですね。後期はまた戻る予定で。

それでもみんなはいつも通り変わらずに接してくれて、
待ってるからって言ってくれて。
それと、結局1回ソープロ離れるっていってもソープロの話は回ってくるから離れた感じしてなかったんですよね。😐
(でもあのとき『ソープロやめてからなんか暗くなったくない?』って言われたりしてたなぁ…笑笑😅)

で後期まで我慢出来ずに戻って…



今書いてること全部自分勝手なんです。
その勝手を受け入れてくれてたのも同期メンバーで。

"おかえりー"って言ってもらえた時、
帰ってきてもいいんやって思えて。
だからこそ自分ができることしようって
今まで以上に思えて。



でもたった2ヶ月やと思ってたのに
たった2ヶ月がすごく大きかって、
たった2ヶ月を全て知らないから
同期と関わりづらくなってて
たった2ヶ月の溝ができた感じがして。
多分なにも変わってないのになんか変わった感じがして。

居づらいな〜。って思い始めました。

前なら入り込めたはずの会話も、
前なら居心地が良かった場所も、
全部居づらくなっていきました。

日に日にしなければいけないことに縛られていって増えていって、気付けばなにも楽しくなくて、
楽しいって思いながらしてるはずなのに、
心から何も楽しくなくて。

唯一楽しかった歌うことも楽しくなくなっていきました。

痩せなければいけない
食べてはいけない
迷惑かけてはいけない
もっと歌を上手くならなければいけない
笑顔でいないといけない
でも笑ってもいけない
泣いてはいけない
進路決めなければいけない……

いろんなことが自分の意思じゃなくなって、
ただ"しなければいけないこと"に変わっていきました。

その時に誰かに相談していれば何かが変わったのかもしれません。でもみんなと溝を感じていた自分は、みんなの方がしんどいのに自分なんかが相談したら、もっと負担をかけてしまう重荷になってしまうと考えました。

体力も落ちて立てなくなる日も増えて
誰かの話すことも嫌になって、1人になりたくて
山に行って気持ち落ち着かすつもりが、
このまま遭難とかして…。。とか思ったり。
脈拍も日に日に少なくなっていって、このまま止まらないかなぁ。とか思ったり。常に頭の中は、何のために生きてて何のために歌ってるんやろってステージなんかもう立ちたくないってずっとそればっかりで。みんなからの連絡さえもどうせ思ってないくせにって信じれなくて。

そんな日々を過ごしていて家族からの勧め(?)で
病院に行くことになり、
診断されたのは心の風邪といわれるやつでした。

自分が弱いだけで、そのせいにしてはいけないと
何度も思いました。そして診断後、言い訳に聞こえるかもしれませんが、Zepp公演までにはまた戻れるようにと努めななければいけないと思いました。ですが当日までにステージに立ちたいという気持ちとみんなと会いたくない、笑いたくない。歌いたくもないし踊りたくもないという気持ちは戻りませんでした。

何で突然練習からも消えたのか同期に伝えることができなくて、それは、もうソープロに帰ったらあかんし、誰も別に自分がいてもいなくてももうこんな勝手なやつなんか待ってくれてる人なんかおらんし、ましてやこんなみっともない。って思って伝えられませんでした。

今更ですが…、(見てるかわからんけど)
本当にごめんなさい。

待ってくださっていたファンの皆さんも、
本当にごめんなさい。

そして正直その思いから、ラストライブにももう立つ気はありませんでした。というより、想いがありませんでした。

だから、卒業式でみんなに会う時、
同期への感謝と同時に三年生やのにこんなみっともないことになってごめんなさいと伝えてソープロを終わろうと思いました。

当日になって、みんなに話した時
みんなが言ってくれた言葉は"おかえり〜!"でした。

その言葉が、本当にありがたくて。
まだ自分は戻ってきてもいいんやって
そう思いました。

だからこそ、その時ラストライブはなくても、
最後みんなとソープロを卒業したくなりました。

今になると、
同期がいて後輩がいて、先生方がいて、
ファンの方が居てくださったからこそ、
この3年間乗り越えれたことが半分以上だと、
改めて感じます。

だからこうして最後の最後になりましたがまたソープロの1メンバーとして戻ってくることができました。
そしてソープロを卒業することができました。
本当にありがとうございました。🙇‍♀️



そしてお休み期間
これからの人生を沢山考える期間でもありました。
その時に出た私の答えは、
1度この道から離れるということです。

人生の半分以上、歌の道一筋でした。
だからこそ1度違う道をみてみたくなりました。

"人の役に立ちたい"っていう気持ちがずっとあって、
その気持ちをメインにしたら
自分の考えはどうなるんだろうっていう興味にかわりました。

また歌の道に進みたいって思うかもしれへんし、
もしかしたらもう思わんかもしれへんし。。

でもSNSで趣味程度に載せれればいいなって
今は考えてます。

これからはSNSのコメントも返せるので
毎回は無理でも定期的に今までの感謝も込めて
返せていければいいなぁとも考えてます。笑

まだこれから何するかは秘密にしておきますね。🤫
その時が来たら発信していきます。笑

今はとりあえず、ゆっくり心を休めることにします。🤔

でも私は今までもこれからも何も変わらないので(多分)笑

最後になりましたが、
この3年間があったからこそ
今の私があることが沢山あります。

ファンの皆さんもソープロも、
ほんまに私にとって大切で、大好きで、
大事な場所だったと
最後の最後で改めて感じれました。

何度も言いますが

本当に本当にありがとうございました。

悪い思い出なんて一つもなくて
ソープロで過ごした経験した3年間全て
かけがえのない大切な宝物です。
このソープロに同期に後輩に先輩に先生方に
出会えたことに感謝です。


やっぱり語彙力なくてまとめられれないのは口でも文字でも
変わらなそうです。😅笑


伝わってること願います。😐



これから10期生が始まりますが、
10期生、11期生..と、SO.ON project OSAKAの応援、
ぜひぜひよろしくお願いします‼︎

では、SO.ON project OSAKA MY SCHOOL3年生、
田代はるなのブログを終わりたいと思います。



ありがとうございました‼︎

さよならはないですーーーー

END.