昨日は、うちの子供(4歳)を初めて打ちっぱなしに連れて行ってみました。
何も教えず、打ちたいように打たせてみました。
全然、当たって無かったですが、楽しそうにやってました。
子供用のクラブが無いので、僕のベン・ホーガンでガンガン打ってましたが・・・
力がないので、アイスホッケー見たいに両手を離して、短く持った方が打ちやすかったみたいで、ずっとそれで打ってました。
勝手にやらせておくと、常識にとらわれずに色々と自分で工夫してやるので、見てて面白いです。
うちの子、実は今のところ左利きなんですが、それなら敢えて右打ちかなーと思って、右で打たせています。
でも、最初にクラブを持たせたときは、グリップが逆だったんですよね。
やっぱり、親としては子供と同じ趣味を持ちたいという気持ちがありますね。
ゴルフに興味を持てば、大きくなっても一緒に遊べるだろうし。
終わった後、「楽しかったから、また行きたい」って言ってたんで、掴みはOKぽかったです。
次に行く時には、子供用のクラブを買ってやろうかな・・・
しつこくてすいません。w
ブルース・リー関係でまた面白い動画を見つけてしまったので紹介します。
ブルース・リーの最後の映画は「燃えよドラゴン」だったはずですが、日本では映画の公開の順番でいけば「死亡遊戯」が最後の映画になります。
死亡遊戯は、もともと別の映画として格闘シーンだけ撮影していたのを、リーの死後に編集して1本の映画にしたものですね。基本的なシーンは全てそっくりさんが演じていました。
元々は「死亡的遊戯」というタイトルで撮影していた映画で、ストーリーも「死亡遊戯」とは全然違うものだったようです。
この動画は、そのオリジナルバージョンのものみたいです。
死亡遊戯とは違って、なんだか仲間が2人いますねw
最初の敵が、リーの後継者のダン・イノサントですね。
彼はリーの弟子ですが、2本の棒を使ったフィリピン武術「カリ」の使い手で、それに関してはリーの師匠でもあります。
リーの映画でおなじみのヌンチャクも、たしかイノサントがリーに教えたものだったと思います。
前回の動画と合わせて見れば、ジークンドーの戦術がよく分かりますねw
フェイントの使い方や攻撃のコンビネーションの仕方とか、無造作なようで、きちんと理屈にのっとったものなんですね。
ブルース・リー関係でまた面白い動画を見つけてしまったので紹介します。
ブルース・リーの最後の映画は「燃えよドラゴン」だったはずですが、日本では映画の公開の順番でいけば「死亡遊戯」が最後の映画になります。
死亡遊戯は、もともと別の映画として格闘シーンだけ撮影していたのを、リーの死後に編集して1本の映画にしたものですね。基本的なシーンは全てそっくりさんが演じていました。
元々は「死亡的遊戯」というタイトルで撮影していた映画で、ストーリーも「死亡遊戯」とは全然違うものだったようです。
この動画は、そのオリジナルバージョンのものみたいです。
死亡遊戯とは違って、なんだか仲間が2人いますねw
最初の敵が、リーの後継者のダン・イノサントですね。
彼はリーの弟子ですが、2本の棒を使ったフィリピン武術「カリ」の使い手で、それに関してはリーの師匠でもあります。
リーの映画でおなじみのヌンチャクも、たしかイノサントがリーに教えたものだったと思います。
前回の動画と合わせて見れば、ジークンドーの戦術がよく分かりますねw
フェイントの使い方や攻撃のコンビネーションの仕方とか、無造作なようで、きちんと理屈にのっとったものなんですね。
前のエントリで武術のことを書いたんですが、
ついでなので、もう少しそっち方面の話を広げてみたいと思います。
ちょうどいい動画を見つけたので、ちょっと紹介します。
この動画は、ジークンドーのマスター、中村頼永氏による解説です。
体型があまりにスッキリされていたので、最初、誰だか分かりませんでした。
この説明を聞けば、ジークンドーが技単体の方法論ではなく、相手と戦う際の戦術論、戦略論を重視していることがよく分かります。
いくら一撃必殺のパンチがあっても、当たらなければ何の意味もありません。
相手が人間となれば、最後は駆け引きの勝負になってきます。そうなったとき、相手の動きに応じながら戦うのは、結局、本人の反射神経やスピード頼りになってしまいます。
そういった方法ではなく、攻撃1つ1つを布石として用い、(心理的にも、肉体的にも)詰将棋のように相手の行動を制限し、自分のペースに持ち込んでいくわけです。
これが武術本来の「理」であり、「戦術」、「戦闘理論」であるはずです。
ブルース・リーの映画で、彼は闇雲にキックやパンチを放っているように見えますが、この動画の解説を聞くと、1つ1つにきちんと意味があるんだな、というのがよく分かります。
ブルース・リーの死後、アカデミーの後を継いだダン・イノサント氏の言った言葉に
「どの格闘技が最強かではない。全ての格闘技が最強なのだ」
というのがあります。とても奥深いですね。
問題は個々の技術の優劣ではなく、いかに実戦で効果的に応用できるかという部分なんですね。
ついでなので、もう少しそっち方面の話を広げてみたいと思います。
ちょうどいい動画を見つけたので、ちょっと紹介します。
この動画は、ジークンドーのマスター、中村頼永氏による解説です。
体型があまりにスッキリされていたので、最初、誰だか分かりませんでした。
この説明を聞けば、ジークンドーが技単体の方法論ではなく、相手と戦う際の戦術論、戦略論を重視していることがよく分かります。
いくら一撃必殺のパンチがあっても、当たらなければ何の意味もありません。
相手が人間となれば、最後は駆け引きの勝負になってきます。そうなったとき、相手の動きに応じながら戦うのは、結局、本人の反射神経やスピード頼りになってしまいます。
そういった方法ではなく、攻撃1つ1つを布石として用い、(心理的にも、肉体的にも)詰将棋のように相手の行動を制限し、自分のペースに持ち込んでいくわけです。
これが武術本来の「理」であり、「戦術」、「戦闘理論」であるはずです。
ブルース・リーの映画で、彼は闇雲にキックやパンチを放っているように見えますが、この動画の解説を聞くと、1つ1つにきちんと意味があるんだな、というのがよく分かります。
ブルース・リーの死後、アカデミーの後を継いだダン・イノサント氏の言った言葉に
「どの格闘技が最強かではない。全ての格闘技が最強なのだ」
というのがあります。とても奥深いですね。
問題は個々の技術の優劣ではなく、いかに実戦で効果的に応用できるかという部分なんですね。
ご無沙汰しております。
あまり代わり映えのしない毎日ですが、それなりにがんばっております。
さて、ずいぶん間が開いていましたが、その間、ゴルフ的なことというと、
もっぱら型稽古のようなことをやっています。
僕は格闘技とか武術とかも好きなので、ゴルフスイングのための動きを練習していると、
「なんだか武術の型稽古みたいだなー」
と感じることがよくあります。
■そもそも「型」とは
「型稽古」というのは、空手とか中国拳法とかにある、”一人で技を鍛錬する”為の方法論です。
ボクシングでもストレートやフック、アッパーなど、パンチ一つ一つに型がありますし、ワンツーなどのコンビネーションブローも立派な「型」です。
「型」の目的は、動きの順序や姿勢やタイミングなどを明確に、きっちりと定義することで、初心者でも技を理解しやすくすることです。
また、武術の型のように、単体の技だけでなく、前後の技のつながりも考慮して、1まとまりの流れにまとめたものがあります。こういった型のことを中国拳法では”套路”と呼んだりしてます。
■「型」稽古の功罪
ただし、誰でもわかりやすくなった反面、型の形(かたち)だけにとらわれてしまう傾向がでてきます。
一番わかりやすいのは、中国拳法や空手での型の”表演”というやつです。
これはいかに決められた型を美しく、力強く実演するか?ということを競うもので、実質はフィギアスケートや体操と同じです。武術本来の強さとは基本的に関係ありません。
しかし、中国拳法や琉球空手などのように歴史の古い古武術には”技の伝承”という、伝わる技を正確に後世に伝えていくという目的も含まれます。
なので、一概に、”表演”自体が無意味なものということは言えません。
ただ、型さえマスターすれば戦えると思い込んで、型そのものを有難がっている人が多いのも実情のようです。
僕が度々、ブルース・リーへのリスペクトを書いているのですが、彼は「型」そのものを否定し、
「流派というもので技がパッケージングされてしまうと、その流派の型を守ることが目的にすり替わってしまう。本来、武術というものは常に創意工夫によって形を変えてゆかなければならない」
ということを言っています。
彼が創始した格闘技、「截拳道(ジークンドー)」にも型はあります。
ただ、ジークンドーが他の格闘技と明確に違うのは「格闘技」ではなく、「格闘コンセプト」という形をとっていることで、特定の技にとらわれず、戦闘理論を柔軟に考えることを目的にしているところです。
では、本当に武術の「型」というのは役に立たないんでしょうか?
■本当に「型」を生かすために
中国拳法には洪家拳という拳法があって、その套路の中には鶴や虎や蛇とかの動きを真似たものがあります。ジャッキー・チェンの映画でも有名になりましたし、日本では”拳児”というマンガでも紹介されました。
正直なところ、昔は「あんな蛇とか鶴の動きなんか、実戦で何の役に立つんだろう?」と思ったものです。
型の動きが実際の戦闘でどう生かされるのか、まったくイメージできなかったのです。ジャッキー・チェンは、映画でうまく実演していますが、あくまで映画ですから、あんなにうまくいくはずないと思ってました。
むしろ、ブルース・リーの技や、空手のように、シンプルな突きや蹴り主体の技の方が数段強いと信じていました。
ただ、そには誤解も多くあって、根本の問題は
「なぜ、このような動きが必要なのか?」
「この動きの意味はなんなのか?」
ということの理解不足なのです。
中国拳法の踊りのような動きにしても、必ずそのような動きになっている”意味”があって、
それを正しく理解した上で型稽古をしなければ、何十年やっても意味がないということですね。
太極拳などは、「あんなゆっくりな動きで戦えるわけがない」とよく言われますね。
でも、あのゆっくりな動きにも、舞踊のような型にも、きちんとそうなっている意味があり、1つの技にも、相手の出方によって色々と変化応用ができるような工夫されているのです。
1つ1つの型の意味を本当に理解して、初めて応用ができるようになります。
そして応用ができなければ、実戦では何の役にも立ちません。
「型」を本当に使えるようにするためには、型本来の意味をしっかりと理解して、どのようにでも応用できるようにすることです。
型の根本的な意味が分かれば、見た目の形や動きはそれほど重要ではなくなります。
■ゴルフに当てはめたら・・・
・・・と、ここまでは昔読んだ本の受け売りなんですが、ホントにそう思いますねー。
ゴルフもいろんな理論やメソッドがあって、それぞれに「型」のような動きがありますね。
でも、その形だけをいくら練習しても、「なぜそうしないといけないのか?」「この動きに何の意味があるのか?」ということを正しく理解できてなければ、時間の無駄になってしまいますね。
ゴルフも格闘技も、他のスポーツも・・・本当に子供の頃、真っ白な状態から始めた人は、ただ漫然と「型」だけを練習していても、そこから本来の意味を理解できる可能性があります。
ただ、大人になってある程度の経験や知識がついた状態からだと、自分の思い込みや勘違いが理解を歪めてしまいます。
そういった意味で、大人になってから「型」練習だけで本質を掴むのは、ほぼ不可能と言っていいと思います。
「型」の意味と目的を正しく理解する過程で、自分の思い込みや誤解をいかに消してゆけるか・・・というのが一番の壁ではないかなーと感じています。
でも、本当は決められた動きを正確になぞることが目的ではないんです。原理さえ理解すれば、いつでもその動きを取り出せるはずなんです。
どんなシチュエーションでも、応用できるようになることが目下の目標です。
あまり代わり映えのしない毎日ですが、それなりにがんばっております。
さて、ずいぶん間が開いていましたが、その間、ゴルフ的なことというと、
もっぱら型稽古のようなことをやっています。
僕は格闘技とか武術とかも好きなので、ゴルフスイングのための動きを練習していると、
「なんだか武術の型稽古みたいだなー」
と感じることがよくあります。
■そもそも「型」とは
「型稽古」というのは、空手とか中国拳法とかにある、”一人で技を鍛錬する”為の方法論です。
ボクシングでもストレートやフック、アッパーなど、パンチ一つ一つに型がありますし、ワンツーなどのコンビネーションブローも立派な「型」です。
「型」の目的は、動きの順序や姿勢やタイミングなどを明確に、きっちりと定義することで、初心者でも技を理解しやすくすることです。
また、武術の型のように、単体の技だけでなく、前後の技のつながりも考慮して、1まとまりの流れにまとめたものがあります。こういった型のことを中国拳法では”套路”と呼んだりしてます。
■「型」稽古の功罪
ただし、誰でもわかりやすくなった反面、型の形(かたち)だけにとらわれてしまう傾向がでてきます。
一番わかりやすいのは、中国拳法や空手での型の”表演”というやつです。
これはいかに決められた型を美しく、力強く実演するか?ということを競うもので、実質はフィギアスケートや体操と同じです。武術本来の強さとは基本的に関係ありません。しかし、中国拳法や琉球空手などのように歴史の古い古武術には”技の伝承”という、伝わる技を正確に後世に伝えていくという目的も含まれます。
なので、一概に、”表演”自体が無意味なものということは言えません。
ただ、型さえマスターすれば戦えると思い込んで、型そのものを有難がっている人が多いのも実情のようです。
僕が度々、ブルース・リーへのリスペクトを書いているのですが、彼は「型」そのものを否定し、
「流派というもので技がパッケージングされてしまうと、その流派の型を守ることが目的にすり替わってしまう。本来、武術というものは常に創意工夫によって形を変えてゆかなければならない」
ということを言っています。
彼が創始した格闘技、「截拳道(ジークンドー)」にも型はあります。
ただ、ジークンドーが他の格闘技と明確に違うのは「格闘技」ではなく、「格闘コンセプト」という形をとっていることで、特定の技にとらわれず、戦闘理論を柔軟に考えることを目的にしているところです。
では、本当に武術の「型」というのは役に立たないんでしょうか?
■本当に「型」を生かすために
中国拳法には洪家拳という拳法があって、その套路の中には鶴や虎や蛇とかの動きを真似たものがあります。ジャッキー・チェンの映画でも有名になりましたし、日本では”拳児”というマンガでも紹介されました。
正直なところ、昔は「あんな蛇とか鶴の動きなんか、実戦で何の役に立つんだろう?」と思ったものです。型の動きが実際の戦闘でどう生かされるのか、まったくイメージできなかったのです。ジャッキー・チェンは、映画でうまく実演していますが、あくまで映画ですから、あんなにうまくいくはずないと思ってました。
むしろ、ブルース・リーの技や、空手のように、シンプルな突きや蹴り主体の技の方が数段強いと信じていました。
ただ、そには誤解も多くあって、根本の問題は
「なぜ、このような動きが必要なのか?」
「この動きの意味はなんなのか?」
ということの理解不足なのです。
中国拳法の踊りのような動きにしても、必ずそのような動きになっている”意味”があって、
それを正しく理解した上で型稽古をしなければ、何十年やっても意味がないということですね。
太極拳などは、「あんなゆっくりな動きで戦えるわけがない」とよく言われますね。
でも、あのゆっくりな動きにも、舞踊のような型にも、きちんとそうなっている意味があり、1つの技にも、相手の出方によって色々と変化応用ができるような工夫されているのです。
1つ1つの型の意味を本当に理解して、初めて応用ができるようになります。
そして応用ができなければ、実戦では何の役にも立ちません。
「型」を本当に使えるようにするためには、型本来の意味をしっかりと理解して、どのようにでも応用できるようにすることです。
型の根本的な意味が分かれば、見た目の形や動きはそれほど重要ではなくなります。
■ゴルフに当てはめたら・・・
・・・と、ここまでは昔読んだ本の受け売りなんですが、ホントにそう思いますねー。
ゴルフもいろんな理論やメソッドがあって、それぞれに「型」のような動きがありますね。
でも、その形だけをいくら練習しても、「なぜそうしないといけないのか?」「この動きに何の意味があるのか?」ということを正しく理解できてなければ、時間の無駄になってしまいますね。
ゴルフも格闘技も、他のスポーツも・・・本当に子供の頃、真っ白な状態から始めた人は、ただ漫然と「型」だけを練習していても、そこから本来の意味を理解できる可能性があります。ただ、大人になってある程度の経験や知識がついた状態からだと、自分の思い込みや勘違いが理解を歪めてしまいます。
そういった意味で、大人になってから「型」練習だけで本質を掴むのは、ほぼ不可能と言っていいと思います。
「型」の意味と目的を正しく理解する過程で、自分の思い込みや誤解をいかに消してゆけるか・・・というのが一番の壁ではないかなーと感じています。
でも、本当は決められた動きを正確になぞることが目的ではないんです。原理さえ理解すれば、いつでもその動きを取り出せるはずなんです。
どんなシチュエーションでも、応用できるようになることが目下の目標です。
また、アメブロの管理画面のデザインが変わりましたね。
まあ・・・いいんですけども、あまりコロコロ変わるのは考えものです。
最初の頃のデザインを結構、気に入ってたんですけどね。
というのも、前のレイアウトだと、アメブロ以外のブログの更新リストが一画面内に表示されてたので見やすかったです。
今はいちいちクイックリンクから移動しないと見れませんよね。(もう慣れましたが)
まあ、アメブロも含めて、更新リストは別のRSSリーダー使えば良いんでしょうけどね。
まあ・・・いいんですけども、あまりコロコロ変わるのは考えものです。
最初の頃のデザインを結構、気に入ってたんですけどね。
というのも、前のレイアウトだと、アメブロ以外のブログの更新リストが一画面内に表示されてたので見やすかったです。
今はいちいちクイックリンクから移動しないと見れませんよね。(もう慣れましたが)
まあ、アメブロも含めて、更新リストは別のRSSリーダー使えば良いんでしょうけどね。