当時僕は
塾の先生をしてました
毎日のように塾へと向かう、
運転中のことでした
車が突然ガタガタいいだして
「あれ?もしかしてタイヤ外れたかな?」
と思い、焦って焦って
道路の脇に駐車したのですが
大きな音をたてて世界が
信じられないくらい深く
ユサユサ揺れている
まるで、
日本という巨大な船が
大きな波をたてている、
巨大な水槽の中に浮かんでいて
揺らされているかのようでした
そう、
地震であんなに音が出るのか
っていうのが
あの当時ものすごい恐怖だったな
見ると、
信号機が逆振り子のように
ブランブラン揺れていて
しかも
揺れが全然おさまらない
永遠に続くかのようにさえ、
思いました
これは大変なことが起こったと本能で感じ、
急いで自宅に戻って
とりあえず家族全員が無事だ、
というのを確認してから、
塾へ向かいました
花巻はもう、
死の街のようでした
灯りひとつなく、真っ暗
塾の中は
パソコンやら参考書やら辞書やら
床に散乱していて
とてつもない状況でした
…とまあね。
うちの病院でも
7年前いろんなことがあったんだよっていう、
先輩たちの話を今日聞きながら
当時のことを僕も思い出していました
あれから本当にいろんなことがあった
僕のもとから
多くの人たちが離れていき
あるいは亡くなり
そしてまた、
多くの新しい人たちと出会いました
この7年の間には
もう、自分のこの人生で
あれ以上しんどいことはないだろう
ってことも経験しました
そして今
7年前の自分には
とても想像だにできなかった地点に
いま僕はいます
まさか看護師やってるなんてね
例えば
人生っていう大きな地図があったとして
その長い航路の、
いったい今どこにいるの
どの座標にいるの
って、ほんとに思います神さま
まあそれは知らないほうがいいよね
震災後、
僕が総監督になって
県内外の素晴らしいアーティスト集めて
チャリティライブを開いたりしたな
って前は思ってたけど
いや、
「何も分からないから、
やり遂げることができたんだな」
って今は思うな。
毎年やるはずだった、
このチャリティコンサート
言葉にできない、
いろんな複雑な思いや
大切な人との別れがあって
あれ以降、
開催できないでいます
ね、セリーヌ
うちら、よくやったよ
あんなにでかい震災があって
誰の気持ちが分かるだなんて
とても言えません
内陸にいた僕が
例えば街が壊滅状態になった、
高田の人たちの気持ちが分かるだなんて、
とても言えません
でも
人間の叡智は
本当に信じるに値する、と
心底確信できた出来事ではありました
あの東日本大震災は。
当時のブログ(mixiだけど)の
一部を。
大震災で亡くなられた方の御冥福を
心からお祈りいたします









