銅メダルの人生(住田町、高田市) | snyfのブログ

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昨夜のテレビ、
教え子が出てたやつでさ
宮沢賢治の話だったんで

あ、こりゃ
宮沢賢治関係の場所に行けってことだろふ!

って思って
午前中に色々検索したところ

「種山高原」という、
宮沢賢治がこよなく愛し

あの銀河鉄道の夜や
風の又三郎を書くに
めっちゃインスパイアされた場所がある
と知って、
行ってきました

午前中は
シューティングしてきたんだけど
1発目でボールがハマるというね

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んで
腹ごしらえをして

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奥州市から
397号線に入って
ひたすら北上高地のほうへ

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途中、
山ん中に
すてきなデカイ工場があったりして
興奮してきて

しかし
山、
山、
山!⛰

種山高原は
住田町、
遠野市、
奥州市にまたがるとのことで
そりゃそうかと思いながら

ひたすら
山の奥へ

これが…

すさまじい絶景だったのです…

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伝わりますかこれ

なんと
北は早池峰山から
南は室根山まで見えるのです!

遠野市と釜石市の境にある、
風力発電の大きなプロペラまで見える!

夜この場所にいたら
めっちゃ星空きれいだろな
とか

その星空の中を
賢治の頭の中では
鉄道走らせてたのかな
とか

いろんなこと考えたり
物思いに耽ったりしていました

しかし
今この時代でさえ
車でかなり山奥にまでこなくちゃいけないのに

宮沢賢治の時代は
いったいどのようにして
この高原まで来たのだろふ(∵)

こんな施設もあった

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もう、
名前からして素敵!(∵)

いろんなこと考えながら
ドライブしてきましたけれど

最近ある人から

しんやさん、
自分の人生に後悔なさそう

と言われまして
妙に引っかかって

ずっと
そのことを考えておりました

後悔が全くないかというと
それは嘘になるかなあと
そう思うんです

ただ言えるのは
もうこれ以上やりようがなかった!
というくらい、
精一杯生きてきた、ということです

もうこれ以上やりようがないくらい、
精一杯生きていても
後悔は、ある

実際、
3年以上前の話になりますが

結婚まで考えていた
元カノと別れた日

ぼくはもうたまらなくなって
自分が壊れてしまいそうになって
大切な人であるRに電話したのです

あの夜のことは忘れられない

“なんで…なんで俺、あんとき…!?”

と、
大きな声で
もうボロボロ泣きながら
ぐしゃぐしゃの顔で
流れても流れても止まらない涙のまま

受話器をこれでもかってくらい
強い力で握って
Rに電話したのでした

Rはただ、
黙って聴いてくれた

ただ一言、

“しんや、死ぬのだけはダメだよ”


いま思えば
あのときRは
一番良いことをしたのではないかな、と
ほんとにそう思います

Rは
僕が頭を下げても下げたりない、
数人のうちの1人です

もうこれ以上やりようがないくらい、
精一杯生きても
人生、
どうにもならないときがあります
うまくいかないときがあります

敬愛するベートーベンの言葉に

努力すれば必ず成功するわけではない
でも、
成功した者は例外なく皆、
努力をしていた

という言葉があります

あと、
小学校のとき
バスケの監督から
僕はこんなことを言われたんですね

しんや、
バスケットってのは
黙ってればシュート打たなくても
勝手に点数入るのか!?
打ってみなきゃわからんだろう!
シュートしたら必ず点になるわけじゃないけど
シュートしなきゃ点にならないだろ!


ああこれは
ベートーベンと同じこと言ってるなあと
だいぶ後の人生で
僕はそう思いました

アメリカで行われた
とある研究結果があって

高齢者とか
末期患者に

人生で後悔があるとすれば
それはどんなことですか?

ということを聞いてみたのだそうです

そしたら
驚くべきことに
70%もの人たちが
全く同じことを答えた、と

それは

“チャレンジをしなかったことだ”

だったそうです

バスケの神さま、
マイケルジョーダンも
同じようなことを言ってますね

失敗をすることには耐えられる
でも、
挑戦しないことには耐えられない


そういう意味では
僕は
後悔がある人生だけれども
それに折り合いをつけれるというか
やりきった人生なのかな、と
そう言えるかなと思います

数学も数学でがんばった
先生としても必死にがんばった

そして
あの歳で看護学校に入ったのも
僕からしたら
あまりに大きな挑戦だった

だから

たとえば今人生が終わるとして
(不慮の事故とかで笑)

僕の人生なんて
金メダルはとても値しないけど
銅メダルはあげてもいいのかな、と
自分でそう思ったりします

とか偉そうに言って
俺まだなー…んもやり遂げてないですけどね

なんかしなきゃ

そんなこと考えてるうちに
住田町が過ぎ去っていき

陸前高田に着いていました

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まるで

あの大震災で失われた多くの尊い生命が

なにがあっても
生き抜けよ

と教えてくれたかのような
今日この日でした