海水さん、走ってないんじゃないの?
海水さん、フェルデンやってないんじゃないの?

そう思われてしまいそうな
アメブロでの更新頻度の今日この頃

今日は今年に入ってから
折に触れて思うことを書いてみます

誰しも、こういうことが
動きの根源になっているのでは?と思うこと

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私の職場は飲食店です
生後間もない赤ちゃんから
ご家族や友人に手をひかれやっとのことで歩ける方
車イスの方
義足の方
酸素吸入器を持ち運ぶ方
ハンディキャップのある方
外国人
年齢性別国籍…様々な方がお越しになられます

私の職場の玄関の作りは
三和土で靴を脱いで、低い木の段を一段介して
畳敷きの和の作り
座席はほぼ掘りごたつ席で
少しだけイス席があります

ご来店の際のお出迎え
お帰りの際のお見送りで
靴を脱いだり履いたりする動作を
15年近く看続けています

大人は大抵の方がよろけます
手すりや靴べらのご案内もしますが
「大丈夫」とおっしゃられたり
使ってもよろけます
こどもは大人に置いていかれるかもしれないと
(実際そんなことはないのに)
こどもなりのタイミングで焦りだす
そしてカバンやスマホやゲームを手から離さない

荷物を置いて手を空けて靴を脱ぎ履きする
それが出来ない方が非常に多いです

地べたに直接置かなくてもいい
綺麗なところに置ける状況なのにも関わらず
手に持ってないと不安なんです

自分が忘れてしまうかもしれないこと
この不安が靴を履くという動作を揺さぶります

不安からくる恐れが身を固くする
不安からくる恐れが平衡感覚を鈍らせる

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同じことは日常生活やランにも及ぶと思います

例えばどこか故障した時
「このまま◯◯しない時間が長く過ぎたらどうしよう?」
「このまま◯◯しなくなったらどうしよう?」
「このまま◯◯できなくなったらどうしよう?」
そんな不安を抱いたことはありませんか?

あなたが「◯◯したい」と思う気持ち
それはどんなことに左右されますか?
誰かに訳もなく奪われるものですか?
自分で形もなく打ち消さねばならないものですか?
どこからどんなボリュームをもって湧いてくるものですか?

そして何らかの事情で◯◯することを
期間限定で停止したり
無期限で出来なくなったときに
「◯◯しない自分」と向き合うことを
恐れていませんか?

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「恐れ」は生きる為の防御反応です
色んな動きの元になっています

あなたの恐れはなんですか?
恐れを観察すること
そして恐れの対極にあるものは?
対極にあるものを動きのもとにできる?

これもフェルデンクライスに於ける
スキャンにあたると思います