その①に続きまして
先日1月13日(土)に開催しました
研Q会のレポでございます

お誘いしたけど諸事情でご参加叶わなかった読者様
興味はあるけどどんなことするのかこわごわでそっと見守ってくださってる読者様
ブログ読者だけどフェルデンクライスには興味ない読者様

「こんなことするんだー」と思いながら
読んでくださると嬉しいです

こちらは複数回ご参加くださってる
ランナーの方です

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◇今日受けたレッスンに名前をつけるなら?
1  体の中の空(クウ)で遊ぶ
2  骨盤を転がすことの一案

◇今日の調子
Before
心♡ 特に暗かったり落ちているわけではないが、そうならないように浮上させようと努力感がある。
体👣 特に何もない。
調和♫ これはこれで案外調和している気がする。

After
心♡ 努力感が抜けて安定している。よく考えたら普通より少しunderなのかもしれないが、まぁ別にいいのではないかと思える。
体👣 特に何もない。。。もともと気になる場所が探せていないので。差がわからない。
ただ、夜のjogでは足が回転しやすいなぁと思った。
調和♫ Beforeより安定した調和。

◇レッスンのご感想
大事なことは目に見えるとは限らない。のと同じように
大事な変化は明確に感じられるとは限らない。
なんか
変わった気がするんだけど、わかんないわ〜。

しかし
最初にスキャンしたときに
いつもと呼吸が違ったのでね。あんなにケコケコおなかがせわしく動く呼吸してたのは初めて
こんな呼吸に気がついてなかったからびっくりした。

◇夜ランで実験
坂の前に肺の空気を新鮮にする、ために一度吐く。
(息が上がるのは肺に新鮮な空気が入ってこない。→吸う前に吐くことが大事説による)
その際、お腹を膨らまして吐く方が楽に感じるか?
お腹を凹ませて吐く方が楽に感じるか?
どっち?
どのみち 走ってる最中に息を意識して吐くとある程度しんどい。
お腹を膨らましたまま吐く方が自然な感じがする。
胸式呼吸の方が楽なのか?というより、吐く意識のために腹筋に力をいれないから楽なのかな?

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◇滑らかさについて思うこと

滑らかに動く質感で体に感じるイメージは空気感。
私にはヌルヌルというイメージはない。

理屈でいうと必然性。
例えば、傾斜に球体を置くと転がる。
立方体は滑る。
この両者とも滑らかである。
転がる方を滑らかと考えてしまうと、立方体を転がす努力をする。
立方体でも転がらないことはないが。。。球体より困難。
困難なことは楽なことより歪みが生じやすい。
立方体の場合、傾斜角度によって止まることもあるが、動いていなくても必然性の観点からなら、これも滑めらかと考える。

滑らかな動作の具体例。
骨盤を動かして歩くと腰椎の旋回が胸椎に連動するので腕が振れて行く。(滑らか)
骨盤を動かさず歩くと腕が振れない。(滑らか)

ランニングフォームにしても 能狂言の足運びの型にしても、それぞれの目的に近づくための滑らかさがあると考えられます。
滑らかさそのものに型はない。

骨盤を動かさずに歩いているのに腕を振ると努力感がある。
私は演じたことはないけど、能狂言の足の運びは足を前に動かすことが基盤になっていて、骨盤を固定する。
そのために腰を落とし、膝を曲げる。
(せっかくだから生でみせていただけたらよかったなぁって今思う)←注・同席者が狂言を習っておられる方でした
この歩行の面白いところは かかとをつけて擦って歩いてるのにつま先を所作があるところ。
この足運びの所作が確立する過程で、足裏全体をつけてスリスリ歩いているのでは、人が歩く様を型とするに不十分だと思われたのではないかと考えられます。
人の足は歩くときにつま先が上がる。
と観察されていたのなら、ウィンドラス機構なのかな?
もしくは観察などではなく、これこそ つま先をあげないと滑らかに動くことが不可能だったから、かもしれません???


足運びは歩く所作を演技にしたものだけど、ランニングフォームは効率よく前進する機能を重視したもの。
どちらも はたからみて美しいと感じるのは、根底に滑らかさが存在するためかと?

一つの動きを習得すると脳がその一方向を覚える。
別の類似した動きをするときにそれを応用してそれがあっていれば良い方向にむくときもあるが、悪い方向にむく時もあると思う。
構造に沿った必然の動きが滑らかであるとすると、癖は力みなので、その脳の凝り具合をほぐしてくれるのがフェルデンクライスでもあるのではないかなと思えます。
滑らかな動きの利点は歪みによる故障を防ぐことと昨日、言った通り。
日常生活であろうと 演技の型であろうと ランニングであろうと 
共通と考えています。

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いつも細かな観察をありがとうございます

そして、同じワークショップ
同じレッスンを受けたのに
こんなに違った感想を抱いてもらえるということが
私にも、その①の方にも、その②の方にも
とても学びの種になると思うのです