わたしのブログにご訪問くださり
ありがとうございます
・・ ① の続きです・・
引き続き父のことを綴りたいと思います。
長文にお付き合いいただけたら幸いです🙇♀️
合格の知らせを携え、
次男が父と会えるのは最期になるかも
…と覚悟をして帰省しました。
肺炎による3ヶ月間の入院から
父の自宅に帰りたい
母の自宅に連れて帰りたい
…という思いを実現するために
医療関係者やケアマネジャー、
近所の親戚の方々のご協力を得て
退院となった当日でした。
2泊一緒に過ごした私達が帰った後
母1人での介護が始まりました。
毎日朝、訪問看護師の方が
点滴(静脈栄養点滴)を交換しに来て下さり
一緒に身体を拭いてくれたり
オムツを替えてくれたり
おしゃべりの相手もして下さいます。
親戚やケアマネが様子を見に来てくれたり
日中は人の出入りがありますが、
夜は母一人です🌠
毎日、母に電話をしていましたが、
夜中にむせる父の痰を取るのは
どんなに心細かったことでしょう
父より7歳若い母ですが、
痩せたとは言え動けない背の高い父を
ベッドの上で動かすのは
どんなに大変だったことでしょう
夜中も熟睡できない中
頑張り屋の母は弱音を吐かずに
本当に頑張ったと思います。
でもね…
父の葬儀が終わった後に
母から聞いたのですが、、
この自宅での最後の2ヶ月間
父と色々な話をしたそうです
出会った頃の話や結婚までの話、
わたし達姉妹が生まれた話、
色々なところに旅行した話、
(あそこ行ったね、ここ行ったね…と🚗)
父が脱サラして自営業になり
波乱万丈な人生後半だったけれど
わたし達マシよね、幸せな方よね…とか
いっぱいお話したそうです
母は涙目になりながらも嬉しそうに
教えてくれました
父は
◯◯子と結婚して良かった
ありがとう、ありがとう …と
泣いていたそうです。
これまで、私は娘目線で
母はずっと苦労させられてかわいそう
…と思っていましたが、
この二人はこれでいいんだ
両親は添い遂げられて幸せだったんだね
父は母に愛情たっぷりで介護してもらえて
幸せだったね
母も、持てる力を全て使い果たし
自分も倒れる寸前まで介護しきったから
悔いがないんだね
母は全然かわいそうじゃなかったんだね
…と思いました。
子煩悩で優しい人でした
何かの模試で50点満点中8点だった時も
「8点取れて偉かったな」と
褒めてくれるような人でした
(…それもどうよと思いますが)
わたしのピアノの先生宅が遠かった頃、
自営業だった父は
毎週🚗送迎をしてくれて
レッスン中は車で待っていてくれました。
男親と思春期の娘
🚗で何を話すでもないけれど(シーン)
そんなレッスン日の道中は決まって外食。
よく中華料理屋でラーメンを食べたのを
覚えています🍜
でも、、
父の細やかな配慮、気がつき過ぎるのを
疎ましく思っていた時期がありました。
例えば・・
寒い冬に「もうすぐ🚗で出かけるね〜」
…と話していると
🅿️に停めてある🚗のエンジンがかかっていて
すでにヒーターがついているんです
寒くないように…という
父の優しい気持ちからなんでしょうが、
私からしたら余計なお世話なのです
過保護なのです
母方の祖母が亡くなったと連絡がきた時も
母より先に泣いたのは父でした・・
今ならわかります!!
父はエンパスが強いんですね。
だから、父に似ている私は
父の気持ちがわかるゆえにイライラし、
余計に腹立たしく感じていたのだと・・
次回に続きます。
最後までありがとうございます