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1年前の5月末に
父は永眠しました。

85歳でした。

今日は父のことを綴らせていただきます。
長文になりますm(_ _)m

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父は80歳を越えた頃、
自宅で転んで腰を骨折しました。

母の介護で半寝たきり生活を送りながらも
復活して歩けるように🌟

しかし…
その後またしても躓いて同じ箇所を骨折し
再度、半寝たきり生活を送りましたが、、

ヘルパーさんの出張リハビリを受け
なんとか自宅内は歩けるまでになり
デイケアに通い出すまでに回復したのも
つかの間汗

また…
転んで骨折してしまったのです・・

それからはずっとベッドの上で
肺炎から入院して〜退院を経て….

歩くことなく天国へ旅立ちました。
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1回目の骨折の前後に
パーキンソン病が発覚し、
薬を服用していました。

パーキンソン病の進行によって
手足が上手く動かず転んだ結果
骨折したのか?

骨折して寝たきり生活になったことで
よりパーキンソン病が
進行してしまったのか?

今となっては わかりません・・

             

両親とは離れて暮らしており、
新幹線と車を使い5時間はかかります。

子供が小さい頃は
毎年お盆と年末には帰省しておりました。

子供達が高校生&大学生になると
家族4人が揃うことは少なくなり
夫と2人で帰省することも

ここ2年くらいは
次男が受験を控えており
子供達が田舎に行くことができず
電話での会話だけでした📞


📝やっと受験が終わり
合格の知らせと共に次男と帰省する時、
もう会えるのは最期かもしれないよ
…と伝えました。

・・と言うのも

肺炎をおこし3ヶ月前から入院していた父は
パーキンソン病の影響もあり
嚥下ができなくなっていて、
急激に体力がなくなっていました。

入院する前までは
口から何でも食べることができていたのに
入院してから嚥下ができなくなり
点滴だけとなってしまったからです。


3ヶ月の入院中、母は毎日病院に通い
何とか飲み込めないかと
試行錯誤していましたが、

田舎の総合病院では専門医もおらず
嚥下が叶うことはありませんでした。

             

胃ろうにするか?
…という選択肢を迫られましたが
父は60代に胃がんの手術をしているので
胃ろうをすることは不可能でした✖️

では腸ろうにしては?
…と医者から提案されましたが、
腸ろうは自宅での管理が
胃ろうよりも数倍大変らしく

また、
父は70代に大腸の手術をしているので
癒着があることが想定でき
体力的にも腸ろう造設術に耐えられるか?
…と・・・

色々な意見を聞き、
家族で話し合いました。

母はなんとしても父を自宅に連れて帰りたく
(父も帰りたい、帰りたいと…)
訪問看護師やヘルパーの協力を得て
自宅での中心静脈栄養(点滴)を選びました。


これが自宅に帰れる最後のチャンス🏠
次に入院したらもう家には帰れないだろう
自宅で暮らせる最後の時間かもしれない

…と腹をくくった母の気持ちに
寄りそって下さった周りの方々が
力を貸して下さいました。


母は、痰の吸引も病院で練習し
毎日、訪問看護師に来てもらう手続きをし
訪問医療の医者を紹介してもらい

用意万端で父を自宅に連れて帰る日に
私と次男が、帰省したのでした🚄🚗
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私と次男は病院に直行し、
退院の手続きをして一緒に自宅へ・・🏠

父は寝たきりではありましたが
完全な痴呆症には至っておらず、

はっきりしゃべることは困難であっても
私や次男のことは認識できました。

2日間でしたが一緒に過ごすことができ
大学合格も伝えられたことが
せめてもの救いです。


わたし達が帰った日から
訪問看護師や訪問医師の協力を得て
近所の親戚の方々に助けられながら、
母1人での介護生活が
約2ヶ月続くことになります。

私は遠方で暮らしているので
母を手伝うことができませんでした。

せめて、ひと月に1〜2回は帰省しようと
仕事を調整しましたが、
母1人に父の介護を任せる形になり
お母さんごめんねという気持ちで
いっぱいでした。


・・・長くなりました。
  次回に続きます。



    最後までありがとうございます