今日という日の実体。 | 子供達になにを残すかを考える

子供達になにを残すかを考える

いったい僕は可愛い3人の子供達に何を残すことができるだろうか・・・?

そんなことを思い初め、残りの半生を子供軸で過ごしていきたいと考えはじめました。

自己を磨くこと、子供達の心をしっかり受け止めること、日々の気付きをノートにしようと思います。

一日も終盤に差し掛かってくると、

 

今日は何のための一日だったのかと、ふと頭をよぎることがある。

 

注意深く一日の出来事を観察してみると、何かが起きている。

 

偶然が重なっていたり、小さな出来事がのちの伏線になっていたりする。

 

そんな時、これには意味があるのだ。と思いを巡らせるときがある。

 

これは偶然だろうか?

 

いや、それは意識の変革からなる、必然なのかもしれない。

 

世界中に見えない意識の川が無数に流れていて、

その流れの一つに合流することによって、見ることのできる情報をキャッチし始めるのだろう。

 

どのように生きるかをイメージする。

 

鮮明に頭の中に描く。細部まで。

 

何度イメージを描いても同じ絵が見える。

 

人はその方向に進もうとしているのだ。鮮明であればあるほど。

 

その絵の中心にあるものが一番求めている姿だ。

 

日々、何も無く過ぎることは、この絵が上手く描けていないということだろう。

 

今日一日、必ず何かが起きている。

 

その流れに身を任せて進んで行く。

 

余計な事は考えずに、感じる事に集中してみる。きっと、流れは絶え間なく流れている。

 

その先に描いた未来が必ず存在する。

 

今日あったことを記録する。今日感じたことを記録することは大事なことだ。

 

そして、何度も読み返してみる。

 

その積み重ねが自己が描く絵の鮮明さを増していく。