4月の塔分補給(1) | すとれいと・びるど/ver.2a

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snowwind-b3の、プラモな日々。ヤフブロから引っ越してきました。
のんびり、のんびり。ひたすら素組Only。塗装・スミ入れ気が向いたらね。

会社の健康診断の結果として、生活習慣病対策の健康指導を受けています。
指導担当者と面談の結果、立てた目標は「休憩時間のコーヒーを、微糖から無糖に」して、「週末30分のジョギング」の、二本立て。

ま、いきなり走るのは気分的にも体力的にも難しいので、「週末の朝はなるべく散歩に出て、徐々に走れるようになろう」と言う段階です。

で、「どうせ歩くなら」ということで
近場の寺社をコースに取りれました。

4月中、週末散歩の結果。
近場の寺社を巡りながら
庚申、巳待などの日待ち塔や、
湯殿山などの出羽三山塔を
ひたすら探す。
探す。
探す。

鉄道ファンが「鉄分補給」とか言いますけど、
それに倣えばこれは、「塔分補給」です。www


その結果としてお墓に行き当たることも多々ありまして。
『山本権八之墓』。
はじめ、自分も「どちらさん?」という感じでしたが、お寺に掲げられた案内板を見ると、「会津のジャンヌ・ダルク」ことの山本八重、父上様でした。
会津藩の砲術指南の家に婿入した権八。戊辰戦争末期若松城南方に出陣し、この辺りで亡くなったようです。
大河ドラマでは、松重豊が好演しました。

その山本権八のお墓から更に南の集落の外れに、数基の石塔が見えたので近寄ってみると、10基ほどのお墓から少し離れて如意輪観音さま。
如意輪観音といえば、土地によっては十九夜などの月待塔の可能性が濃厚ですが、会津盆地周辺にはあまり見ません。
墓石とは違うようですが、月待塔なり墓標なりそれに見合った文字列があるはずです。しかしこれは・・・表面の風化が激しくて、彫ってあるのかすらも判らない。
若松近辺には珍しい存在であることは、間違いない気がします。