従姉妹が
虹の橋を
渡ってしまってから
22日過ぎました
時が過ぎても
彼女が
いなくなってしまった
実感が湧いてきません
まだどこかに
いてくれている様な
感じがします
昨日
従姉妹の母である叔母から
電話があり
従姉妹のことを
思い出しながら
いろいろなことを
話しました
その1時間近くにわたる
会話の中で
それまで
穏やかな口調で
話をしていた叔母が
突然
語気を荒くして
いい放ちました
‘’ちゃらちゃら生きている人達を
みていると
無性に情けなくなる
あんないい加減な
生き方をしている人達が
安穏と生きているのに
社会に
あんなに貢献する働きを
精一杯してきた娘が
どうして
あんな病気になり
若くして
死ななければならなかったのか
と思うとやるせない‘’
普段は
とても穏やかな叔母の
その言葉の激しさに
わたしも
びっくりして
‘’ でも
いい加減に
生きているようにみえる人達も
他人にはわからない
様々な痛みや苦しみを
抱えて生きているものかも
しれないですから‘’
と
つい
やんわりなだめるように
そんな言葉を
返してしまいました
すると
叔母は
そのわたしの言葉に
黙りこくってしまいました
わたしは
その叔母の沈黙に
言ってはいけない言葉を
返してしまったことに
咄嗟に気づきました
叔母が
言いたかったことは
その言葉がそのまま
意味するところではなく
そう思ってしまうほど
娘を失った悲しみは深く
耐えがたく辛いのだと
言いたかったのだろうに
わたしは
その激しい言葉の裏に隠された
心の悲しみ 苦しみを
心で聞けないで
その言葉を
譜面どおりに
頭で聞いてしまった
人は
どうしようもない悲しみで
心が苦しみ
弱っている時
意見や
ましてや
道徳的説教など
聞きたくないのです
そんなこと
わたしは
身に染みて
わかっていた筈なのに...
わたしが
叔母に
柔らかく
かけてあげるべき言葉は
‘’ そういう気持ちにも
なりますよね...‘’
だったのに...
わたしが叔母に
言うべきだったろう言葉は
ただ
‘’共感の言葉‘’
だったのに...
わたしの失言が
叔母に
悲しみを
2重に負わせてしまったように
思われて
辛いです