私は、もともとそんなにTV番組に執着はありません。
もちろん、再放送してたらテンション上がって食いついちゃうくらいの、お気に入りな番組だってあるし、
司会者ばかりが中心な番組は、あんまり好きじゃない等好みを言ったりはするけど、
気にしなければ(好き嫌い関係なく)どんな番組も見れるし、BGMの変わりくらいに考えたりもする。
私の中のTVの位置は、だいたいそんなです。実際、うちでは、正直、電源着いてないことの方が多い箱です。
でも今回の地震が起きて、
私の中でTVの意識は変わりました。
各局は休むことなく被災の状況や国の対応を報道していて、事態に動きがあるたびに、随時リポーターに切り替わって、スタジオのコメントを流す。
リアルタイムの放送は、
チャンネルを回せば、同じ被災の状況を、
各TV局の視点や想い、放送の違いを如実に表しながら写し出したわけで。
各放送を見ていたら、当たり前だけど、今まで気づいていなかったことに気づきました。
報道は、視聴者に届く前に、どんな形にもなるんだということ。
報道を通して、真実はよくも悪くもなるし、そこに、どんな他意も加えられる。
何の疑いも持たないでいると、視聴者は、TV局から簡単に影響を受けてしまえるんだということ。
それから、やっぱり「報道のカタチ」で、「放送局のカタチ」が見えるということ。
被災の報道から、私はある局の番組は気持ち的に避けるようになったし、またある局のコメントは、もう真面目に信じなくなりました。
あの、混乱した大きな事態
あの時の報道に、報道の仕方に、TV局の器みたいなモノがはっきり表れてると感じたから。
どんな報道をするべきか、
どんな情報が求められいて
どんな報道ができるのか
私は黒い箱を、前とは別の目で見るようになりました
