「狂狷」 | BLACK VELVETS

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火水(ホシ)の舞踏と祝祭の音

シンギングボウル と霊性に
身体から働きかけるワークを
やっています

久しぶりの書 「狂狷」





中国の思想家や政治家の中には、「狂」と呼ばれることを良しとする、「狂」と呼ばれたい、というような気持ちが強いような気がします。日本の文化には「わび、さび」という一つのコンセプトがメインにあるかと思うのですが、方向性は違えども、中国の「狂狷(きょうけん)」というのは、それと同じような位置にあったものなのですか。

 そうですね。中国では一種の否定を媒介としているように見られます。「わび」の場合は否定を媒介としないままで、言うならば直線的な動きですね。前者の場合、自己否定しなければ、生きるということはできないのです。だからこういった「狂」を称する連中は、新しくなった社会秩序や政治秩序の中で存在する、適応することを許されない連中なんです。

 日本の場合、そんなことはなく、困ったら坊主になればお終いですね。巨大な悪の力といわれるようなものは、日本には政治的、社会的なものとして実現されることはなかった。中国で異民族の支配になると、今まで最高の知識人たちが、いわゆる乞食のような扱いを受けてしまい、このような扱いを受けたまともな人間は、もう狂うとらなければ、やってられんのです。日本と中国では、社会的な情勢が全然違う。日本には、こういった否定的な精神というものは作動する時代がほとんどなかった。だから、いつまでたっても実業界、政界でも節操のないことをやってますね。十分な自己否定した上での脱皮、自分の変革というのができないのです。もちろん、私らも含めてやぞ (笑)。」

白川静インタビューより