身体操法ワークをやりに東京に来ております。
クンルンを教える期間が終わってからやたらと異分野の人に教える機会が増えました。
自分の教えている内容がどれだけ汎用性があるのかチェック出来るので異分野の人達との交流はかなり勉強になります。
今まで施術を通してもしくは行法の伝授を通しても人の身体を見る機会がありましたが
現代人の身体の問題というのは基本的に同じだなと思います。
上半身と下半身、頭とハート、ハートと腹、腹と脚、をことごとくバラバラに分断されている。
エネルギーもバラバラにされている。
そしてお上の言うことに従う、権威者に従う、という事についてだけ統合性がある。
とにかく自分で考える、という事が出来ない心身にされています。
ウチは座学をやっているのである程度、理想的な身体の形を提示するのですが、その形に入るには
プロセスが必要なんですよね。
でも「たった1分で綺麗になる」とかのキャッチフレーズに騙されまくっている人にはプロセスというのは存在自体許せないのでしょう。
あっという間に心身が変わる、というのは現象としてはあり得ますがこと内功的な身体、いにしえから伝えられてきた身体性はあっという間に身につけられるものではないです。
農作物を育てるように培っていくものだと思います。
あまりに結果志向すぎるとプロセスを楽しむという事が出来なくなります。
むしろプロセスを楽しむ事こそが結果を生むんじゃないかと思います。
こんな話があります。
神様が森でくつろいでいると前から苦行者がやって来た。
苦行者は神様を目にすると
「神様に伺いたいのだが私は今世で解脱しますか?」
神様答えて曰く
「お前はあと三回生まれ変わって解脱する」
それを聞いた苦行者は怒り狂って
「こんな人生をあと3回もやらなければならないのか!」と叫んだ後にどこかへ行ってしまった。
今度は笛を吹きながら楽しそうな様子で遊行者がやって来た。
神様は彼を見ると言った。
「あなたはあと百回生まれ変わると解脱する。」
遊行者は言った。
「こんな楽しい人生をあと百回もすることが出来るのか!神様ありがとう!」
その瞬間、彼は解脱した。
ところがこの一部始終を見ていた3人目の行者がいた。
彼はこの2人の状況を見てこのように考えた。
「人生楽しんで生きれば一瞬に解脱するのだ。」
それ以来彼は楽しんで生きる事を心がけるようにしたが、彼が解脱したという話は伝わってこない。
なぜなら彼のマインドは解脱をする為に楽しむ、という事をやっていたからでただ単純に楽しむという事が出来なかったからである。