先日は気脈開通法の帯脈のZOOMクラスでした。
帯脈のクラス内容は座学も含めて多いので今後2パートに分けるかもしれません。
身体操法シリーズはある視点で見ると立禅や立ち行をいかに現代日本人がスムーズに行うか?という目的を主眼に置いたワークです。
立禅や立ち行の神秘行として見た際の優位性というのは前にもブログで書きましたが
仏陀と同時代人のジャイナ教のマハビーラが立って瞑想をしていたという話があります。
立って瞑想をすると座って瞑想するよりも沢山エネルギーが流れる、というのがその理由だそうです。
また、禅寺などでも下手すると一日8時間以上座っている所もあるようですが、私の先生によりますと座で深い境地に入っても、座を解くとその境地から出てしまうそうです。
ところが立ち行で深い境地に入るとその境地は歩いても座っても寝ても一日24時間波及する。
ダンテスダイジやその師匠の方も武術的なワークをやっていたりしますが一見、座行で覚醒した、とされている方も立ち行や武術的なワークをしっかりとやっていたりします。
武術家の孫禄堂がその著作に中国武術の型を練る事で寝ても覚めても小周天ルートに気が巡るようになったと書いてますがこれなどは立ち行以上に精妙な手脚を使った武術の型により強力な内功を手にいれたという事かと思います。
同じ小周天行をしている仙道修行者なども一日中気が巡る状態になるケースはなかなかありません。
孫禄堂
古神道関係者が古武術を嗜んでたりするのも祝詞で降ろした神々のエネルギーを足の先まで降ろす必要があるからです。
あと、立ち行をすると人間は地球と惑星などを繋ぐアンテナになるので、まさに天と地を繋ぐ、結ぶワークとして立ち行というのは重要であると言えると思います。
本来の神秘行の形態は立ち行と座行はお互いに補助し合うような関係だったようです。
これは3センター覚醒という話と関わってくると思いますがその点についてはまたの機会に。
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と、ここまでは立ち行の神秘行としての優位性に
ついて書いてきたわけですが
それはあくまでも行として見た視点からのもので
現代人の、それも劣化した身体の現代日本人に
立ち行、立禅は果たして有効なのか?
という視点から書いてみます。
昨年まで立ち行の指導を私はしてたのですが
普段、運動をしてないような方に立禅などを
そのままやらせるとブっ倒れることが多かったです。
あとはなんとか行は出来るものの呼吸はイキんだ状態で(イキみまくった状態でやる立禅は身体に悪い)
ああ、これではとてもじゃないがこの人達はここで習った行を続けようとは思わないだろう、と感じる事が何度もありました。
立ち行や立禅というものは現代日本人の身体の状態ではそのままやるにはギャップがありすぎます。
本来の立ち行や立禅は身体の準備を整えて行えばとても清々しいものなのですが気合いと根性で無理矢理やれるようなものではない、というのが私の意見ですね。
むしろ気合いと根性でやればやるほどクンダリーニ症候群や偏差でおかしくなる場合が多い。
最も立ち行の危険性については武術関係者の方々の方が良く分かっていたりするので、それを良く分かっている方達は動功と組み合わせて精密に立ち行をやっていたりします。
立ち行の際のイキみの原因として鳩尾の固さ、横隔膜の固さ、内臓全体の凝り(内臓も筋肉と同じで凝ります)がありますが、これがあるとまず肩の力は抜けません。
肋骨全体が硬直している状態で深い呼吸は出来ないですしその身体の状態で古代から綿々と伝えられて来た行法は直接はまず、出来ないです。