人間の屑 | BLACK VELVETS

BLACK VELVETS

火水(ホシ)の舞踏と祝祭の音

シンギングボウル と霊性に
身体から働きかけるワークを
やっています

若い頃読んだグルジェフのこの言葉、事あるごとに思い出す。

こういった現象は自我を炙り出すようなワークをやっているスクール特有のものでヒーリング団体とかでは起きない。

瞑想なりいろんなワークなりが人をいい状態にする、というのは僕は幻想であると思ってまして、むしろ「人間の屑」状態のまま平気で何十年も通過する場合もあるのではないかと思う。

「覚醒」という言葉も今の精神世界用語だと「能力覚醒」みたいに超能力開発の結果みたいに捉えられていますがグルジェフの言う覚醒とは自分の自我に直面するというドストエフスキー的な意味なのでそれは意味が全く違う。

「わが研究所は、鉄道の修理工場、あるいは自動車の修理場のようなものである。そこに新しい人か入ってくると、今まで見たこともないエンジンを目にする。確かに、外で見てきた車はみな外装をほどこされ、塗装されており、内部は見えない。通りの人たちは外装だけを見るのに慣れていて、修理場で見るように外装をはずした車を見ることはない。修理場では、部品は解体され、汚れを落とされ、点検しやすいように並べられていて、見慣れた外観に共通するものは何もない。ここでもそのとおりである。旅行かばんを持って新しい参加者が到着すると、その人は即座に外装を刺がされる。次に、その人が持つ最悪の面、内面の「美」が一つ残らず克明に取り出される。

あなた方の中で、この現象を知らない人は、われわれは、馬鹿で怠情で愚鈍な連中、簡単に言うと、人間の屑ばかりをかき集めたという印象を受ける。だが重要な点を忘れている。この現象を発見したのは自分ではなく、誰かが人々をむき出しにしたということに気がつかない。しかし彼は自分が見るすべてを、自分がすると考える。誰かが馬鹿なら、自分も馬鹿であるのには気づかず、誰かが人々をむき出しにしたことに気がつかない。

誰かが人々をむき出しにしなかったら、 彼はそのような馬鹿者たちの一人にひざまずいていたに違いない。他人が裸にされているのは見えるが、自身も裸にされていることは忘れている。人生で仮面を着けることができるように、ここでも仮面を着けられると空想する。しかし、いったん研究所の門をくぐったら、番人が仮面を斜ぎ取る。ここでは彼は裸であり、誰もが彼がどんな人間かをじかに感じるといった次第であるから、ここでは、誰に関しても、内面的に配慮すべきではない。誰かが間違ったことをしても激怒してはいけない。あなた自身、同じことをやっているのである。むしろ、他人から叩かれずに済んだことを幸運と思い、感謝すべきである。あなたが誰かにすることは、いちいち間違っているのである。だから、あなたのことを気にしない人たちは、何と親切な人たちであろう。それに引きかえ、誰かがあなたにちょっとでも間違ったことをしようものなら、とたんに相手の顔を殴りたくなるのがあなたである。

これをはっきり理解し、それに従って行動し、善であろうが悪であろうが、他人のあらゆる面をあなたのために役立てるように努めなさい。同様に、あなたのあらゆる面を、他人のために役立てなければいけない。他人が利ロであろうが、馬鹿であろうが、親切であろうが、卑劣であろうが、ときによって、あなたも愚かで、利口で、卑劣で、良心的であるのは確かである。人はみな同じであり、違ったときに違った発現をするだけであり、あなた自身が違ったときには違うのと同じである。 

ときによってあなたは助けを必要とするが、他人もあなたの助けを必要とする。しかし、他人を助けるのは、その人のためではなく、あなた自身のために助けなければいけない。第一に、他人を助ければ、助けられ、第二に、彼らを助けることで、あなたはあなたの最も身近な人々の利益のために学ぶことになる。

もう一つ、知っておかなければならないことがある。多くの人々の多くの状態は、その人たち自身によってではなく、研究所によって人為的につくられているということであり、他人のそういった内面状態を乱すことは、場合によっては、研究所の仕事を妨害することになる。救いは一つしかない。あなたは自分のためにのみここにいるということ、そして、周囲のすべてのもの、すべての人があなたの邪魔をすべきではなく、あなた自身も彼らから邪魔されないように行動しなくてはな
らないということを、昼夜の別なく銘記することだ。自己の目標を達成するために、彼らを役立てなければならない。

だが、ここでは、そうでないことだけがなされている。ここは、普通の人生より劣る何かになってしまった。はるかに劣る。一日中陰口に明け暮れ、泥をなすり合い、内面で配慮し、他人を判断し、気にかけ、ある人々に共感を、他の人々に反感を持ち、集団や、個人で友だちになったり、互いに卑劣なわなをかけあったり、お互いの醜い面だけに思いを凝らしたりといった具合である。

ここには他より優れた人がいると考えるのは無益である。ここには他の人はいない。ここには利口者も馬鹿者も、イギリス人もロシア人も、善人も悪人もいない。あなたと同じ、だめになった車があるだけだ。こうした車があるからこそ、あなたがここへ来たときの願いが達成できるのである。
あなた方は、ここに来たときにはそのことを知っていたのだが、今ではすっかり忘れている。もう1度、この認識に目覚め、以前の理想に戻らなければならない。」