チベタンパルシングヨガ誕生秘話 | BLACK VELVETS

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火水(ホシ)の舞踏と祝祭の音

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身体から働きかけるワークを
やっています


FBのウチのシンギングボウルページでもシェアした私が学んだ事のあるチベタンパルシングヨガの誕生秘話の記事です。


僕の大先輩のもんじゅまさきさんが創始者のディラージにインタビューしたものでリンク先には創始者の写真もあります。

パルシングヨガは伝統をルーツにしながらもプログレッシブに現代人に合わせてワークを展開しました。

こういった志向はウチのワークにも反映されています。


『チベタン・パルシング誕生秘話 No.1(2006年05月15日)』

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 1993年、プーナの OSHOコミューンに滞在中、ふとしたことでチベタン・パルシング・ヨーガの創始者であるディラージと知り合いになり、一連のインタビューに応じてもらえる幸運な機会を得たことがあり、当時、発行していた小冊子『TSUKUYOMI』に発表したことがあるのですが、インタビューの内容はかなりのボリュームがあるので、パルス(脈動)を用いたヒーリングと意識変容のヨーガであるチベタン・パルシング誕生前夜の部分だけをNo1とNo2に分けて、アップしておきます…… 

 (1993年2月23日 OSHOコミューン ナロパ6にて収録) 

       「振動レベルの下降」 

ディラージ: 

 さて、人間の意識は6,000のレベルまで下降する。6,000のレベルというのは、完璧に恐怖に呑み込まれたり、信念に凝り固まったり、憎悪に包まれたりしている人間の状態を指している。それは人間としての意識の最低レベルだ。君たちもその実験をすることができる。私は20年間、そういったレベルの実験をしてきた。 

 ちょっぴり酒を飲めば、君は96のレベルまで下がる。もう少し飲めば192まで下がる。さらに飲めば、384、そうして700、1500と下降するに従い、自己同一化が激しくなってゆき、性欲に対する強い執念が沸き起こってくる。そこでさらに飲んで、3000に落ちてしまったら、友人たちから「このろくでなし」と悪態をつかれ、愛想を尽かされることは間違いない。誰ひとりとして信頼できないから、親友たちも離れてゆく。 

 さらに一口飲めば、6000という最低のレベルに下降する。女たちからさえもすっかり愛想をつかされる。もう一歩先に進むと、人が怖くてたまらなくなり、完全な恐怖に取り憑かれる。 

 さて、そこでさらに酒をすすると、突然、意識は人間の領域を超える。人間は、6000以下では動けない。まず最初に人は意識を失ってしまい、それから動物の意識に入ってゆく。臓器がすべてを乗っ取ってしまう。 

 もしウイスキーを日頃飲みつけていれば、膵臓が乗っ取り、アイルランド人のようになる。ワインを飲みつけていれば、肝臓に乗っ取られ、イタリア人のようになる。ビールを飲みつけていれば、腎臓が乗っ取り、ドイツ人のようになる。 

 6000のレベルというのはまさにこれだ。ひとたび6000以下に下降すると、人は動物の意識に入ってゆく。人はそこで意識を失う。人は何も知覚できない。酔いつぶれて意識を失った経験があるなら、君にもわかるだろう。何が起こったのか思い出せない。それは君が6000以下の波動に入っていったということだ。 

   「ディラージのワークの源泉」 

モンジュ: 

では、ここで公開を赦される範囲で、“チベタン・パルシング”の基本構造について話していただけますか? 24の数値や、男性エネルギーと女性エネルギーの違いについても触れていただけると嬉しいです 

ディラージ: 

 “チベタン・パルシング”は、神経組織の生物電気的メカニズムを通して人間の意識進化に取り組む手法だ。この手法は、古代からチベットの僧院に伝わる原理と道教のプロセスに基づいて開発されたテクニックだ。 

 私はたくさんのチベット仏教のマスターたちとつきあってきた。そして道教の祖師のひとりであるニ・ファ・チン師(“易経”を翻訳した最初の中国人マスター)のもとでもっと多くの時を過ごした。 

 この二つは実はまったく同じワークだ。ニ・ファ・チン師は、道教の伝統を継ぐマスターで、中国を追放されて、ロサンジェルスに落ち着いていた。私は二週間に一度、日曜日の朝、彼のもとで時間を過ごした。彼の存在はとても大きな助けになった。一度も私に教えを説いたり、何かを告げたりすることはなかったが、私はその情報を吸収することができた。 

 OSHOはこのワークをチベタンと名づけることを勧めた。それは当たっている。私のワークには、ニ・ファ・チン師から受けた道教の影響とともに、チベットのマスターたちから学んだものが数多く入っている。 

 また私のワークは、アメリカインディアンの一部族、チェロキー族の高名な呪術師ヒアミオ・ストーム師のガイダンスが含まれている。ストーム師は、アメリカインディアンの伝統について書かれた『セブン・アローズ』というすばらしい本の著者だが、シャーマンの意識を身につけているすばらしい人物でもある。 

 彼は動物の意識にまつわる深い洞察力を持った男だ。私は彼から多大な助けを得た。私は彼のおかげで何度か死にそうな目に遭った。私は子供を産んでいる豹のいる檻の中に入れられたり、四匹の赤ライオンのいる檻の中に入れられたり・・・・。ライオンたちは彼の友達のようなものだったが、私にはショックだった。彼はそのようにして私にシャーマニズムのテストを課していたのだ。 

 これらの人々が私を導いてくれた主要な人たちであり、私のワークの源となっている。 

     「パルスの治癒力の発見」 

  実は、これらの人々との出会いが起こる前、私は20年間アルコール中毒で苦しんでいた。私は酒にひどく耽溺していたのだ。ところがある時、アメリカインディアンの瞑想に出会ったおかげで、そのプロセスを止めることができた。それが起こると同時に、知覚が変化し、私は様々な変性意識の状態を体験しはじめた。そして常々自分が現実だと見なしてきたものが必ずしも真実ではないことを、つまり自己の真の姿を発見しはじめた。そしてそれは私の神経組織がどのようにして確立されたかを見出してゆくことにつながった。こうして私は、独りで静かに自分自身の知覚の本性を研究しはじめた。長年にわたるアルコール中毒が癒されたのはなぜだろうか? と。 

 まず最初の発見は、食べ物を一切口にせず、酒ばかり飲み続けたために膵炎を起こしていた膵臓で起こった。膵炎というのは、通常は最初の発作で生命を失ってしまうケースが大半だという。2度目の発作を持ち堪えられる者はほとんどいない。膵炎の発作に3回以上耐えた例というのはないそうだが、私の場合は4度目の発作が起こって、やっと重い腰を上げた。ことそこに至ってようやく私は、何かをしなければいけないと思い、瞑想をはじめた。 

 すると実に様々な知覚の変化が起こりはじめた。その知覚の変化とともに、私という存在は、自分がそうだと思い込んでいたものより遥かに広大なものであることがはっきりとわかってきた。 希望が見えてきた。何よりも嬉しかったのは、強烈な痛みを軽減してきたことだ。それで私は膵臓の上に手を当てながら歩きまわった。 

 当時、私はヨセミテの国立公園の近くの小さな農園に住んでいた。膵臓が山のように腫れ上がっていたため、だぶだぶの長いパンツをはいていたのだが、ウエストが大きすぎて、ずり落ちそうなので、手で押さえていなければならなかった。私は何週間もそのパンツをはいて、ずり落ちないよう手で押さえていた。ちょうどその手が膵臓の上に当たっていたのだ。ある時、私はそこに何かが起こっていることに気づきはじめた・・・振動、パルスだ。手を離すと、痛みが消え失せていた。それがチベタン・パルシングのはじまりだった。それが最初の発見だった。 

   
    「ヒーリングを加速する音」 

 身体のある部位に脈動の焦点を集めると、私の場合は膵臓だが、その部位の痛みが消えてゆく。次に私が実験しはじめたのは、静かに坐って、マントラを唱えて、ある音を発することだった。ある音を発すると、手を当てている部位が振動する。やがて私は、意識的にある部位を振動させることができるように声を誘導するコツをつかんだ。なぜなら、そのようにして声を誘導すると、特定の部位のエネルギーを加速させることができるからだ。そうすると、その部位が痛むどころか、突然、至福のエネルギーに包まれるようになる。だから私がしなければならないことは、長年にわたるアルコール漬けの罠に再び陥らないよう、きちんとした規律をもってワークを続けることだけだった。 

 意識を高揚させる方法を発見したことは、すばらしいことだった。そこで私は様々な音を発したり、マントラを唱えたり、歌を歌ったりしてにぎやかな音を立て、内臓を振動させ、ヒーリングのスピードを加速させるための実験を重ねていった。 

 例えば、肝臓の部位が痛みはじめると、肝臓の上に手を当てて、声を出し、その部位を振動させ、痛みを取り除いてゆく。痛みがある場所ならどこでも、そのようにして振動させると、同じことが起こっていった。要は音程のちがいだけだった。 

 そうしているうちに、私は肉体のそれぞれの部位には、異なる特定の周波数があることに気づいていった。胃を振動させるためには、特定の音質がいる・・・。肝臓を振動させるためには、特定の音質がいる。腎臓を振動させるためには、特定の音質を生み出せなければならない。脚に降りていって、脚を振動させることもできるが、そうするためにはまた別の音質を生み出さなければならない。こうして私は、身体の至るところに音を動かすための実験を重ねた。 

 だが、第一の焦点は膵臓だった。ところが音を発して膵臓を振動させているうちに、やがて知覚が変化し、周囲のものすべてが鮮やかな緑色を帯びて見えるようになってきた。肝臓を振動させはじめると、濃い緑を帯びて見えてきた。胆嚢を振動しはじめると、淡い緑、鮮やかな黄緑色を帯びて見えるようになってきた。こうして実験を続けることでそれぞれ臓器に特定の質があり、特定の色を発生させることがわかってきた。それぞれの部位の振動、周波数を強めると、特定の色が生み出される。 

 さらに実験を重ねてゆくにつれ、私はその種のエネルギーに対してますます敏感になってゆき、やがて特定の臓器と色が脊椎の特定の部位と関連し合っていることがわかってきた。 例えば、膵臓を共振させていると、脊椎の特定の場所・・・頚椎の六番がうずき出し、高いエネルギーを持つようになってくる。続いて肝臓を共振させると、そのひとつ下、頚椎の七番が高いエネルギーを持つ。胆嚢を共振させると、そのまたひとつ下、胸椎の一番が高いエネルギーを持つ。臓器や脊椎のひとつひとつがある音、ある色と同じ質を持っている。実際、私は色と音が同質のものであることを知りはじめた。 

         
     「揺れ動くレーザー光線」 

 この問題を追及していた頃、私はロサンジェルスに住む親友のアルビン・ドライヤーと一緒に仕事をしていた。ドライヤーはレーザー光線の魔術師であり、日本資本の国際的な会社を持ち、プラネタリウムでレーザーを使う光のショー、レーザリァムを演出していた。彼は世界中で公演を打っていた。 

 私はドライヤーの仕事を手伝っていた。もうひとりマイケル・コーレーという男がレーザリァムの音楽を担当していた。私の仕事は、彼の音楽に合う色と形をつくりだすことだった。様々な色や形から、音楽に合うレーザー光線のパターンをつくりだすと、ドライヤーがコンピューターを使ってそのパターンをレーザーでつくりだす。当時、私はそれで生計を立てていた。 

 あるとき、私たちは色と音をめぐる話をしていたのだが、その時、サトリの体験のようなことが起こった。私たちは部屋のなかで対角線に坐って話していた。突然、全員が同時にヴィジョンを見た。私たちは実際にレベル12の世界に入った。部屋のなかで揺らめくレーザー光線が何よりの証拠だった。私が大きな声で「ヤァ!!」と叫び、オーバートーンを発生させ、見守っていると、レーザー光線がささ波が立つように揺れ動いた。その光景を見ながら、今度は「リーン!!」と叫び、するどいオーバートーンを発生させると、レーザー光線にまた別の影響が現れた。 

 この現象を通じて、私たちは色と音の間には特定の関係があることを悟った。それと同じ関係が骨と筋肉の間にもある。身体の内側にある動きをつくりだすことで、色と音が相互に作用し合っているのがわかる。音は骨に似ているし、色は筋肉に似ている。同様の相互作用が身体の内部に運動をつくりだし、また音と色と媒体として、外界に作用を及ぼしてゆく。その作用はひじょうにゆったりとした知覚のレベル、瞑想的なレベルに属し、目ではっきりと見ることができる。その作用を見ることができる。 

    「チベット仏教との遭遇」 

 私たちは、カリフォルニアのアダワオにある彼の美しいスタジオを使って、何かを決定できるかどうか調査をはじめた。マントラを唱えはじめると、やがて私たちが調べているのが科学であることが判明した。なぜなら、効果が規則正しく現われたからだ。それはオーバートーンの効果だった。 

 ある臓器を振動させると、完全に振動させると、その波動のオーバートーンが発生する。そしてある特定の臓器に焦点を定めたときにのみ、それが起こる。例えば、膵臓に焦点を合わせ、仮に「God」という言葉をマントラとして使ってみるとしよう。私は膵臓だけを振動させてみる。膵臓にピタリと照準が合ったなら、あるオーバートーンが発生する。さあ、3回やってみよう。 

「GGGGGGGoooooooooood・・・・・・」 
「GGGGGGGoooooooooood・・・・・・」 
「GGGGGGGoooooooooood・・・・・・」 

 とても強烈だ。チベットの僧院では、自己否定的なやり方だが、これが行なわれている。彼らの意識は高揚してゆく。 

 私がこの実験を記録してゆくと、それぞれの音が、特定の背骨と対応関係にあることがわかってきた。背骨のひとつひとつが特定の周波数によって影響を受ける。その後、私は脊椎を調べ、それが24個の骨で組み立てられていることを確かめた。次に私は大きな円を24等分し、集めた情報をその中に書き込んでいった。 

 どのようにしたかというと、まず特定の臓器を選び、その臓器に関連する周波数の音を何度も何度もくり返してゆく。マインドが完全にクリアーになるまで、何度も何度も音をくり返してゆく。そうしてマインドがクリアーになると、静かに坐って、何かが来るのをただ待つ。すると古きよき時代の退屈極まる音がやって来る。私の神経組織が奇妙な影響を受ける。 

 だが、特定の音程を発して、何が起こるか見ていると、ある一連の歌が聞こえてくる。私はそれをチャートの特定の場所に記録してゆく。そしてまた実験を続け、戻ってきては記録する・・・。 

 そうしているうちに、私はエンタテインメント(演劇・歌・バレイ)に関する何かを理解しはじめた。つまり、エンタテインメントというのは、特定の周波数にまつわる現象なのだということを悟ったのだ。 

 それは神経組織の特定のエリアを刺激する音の周波数に関係している。そしてまた、これらの音の周波数は、色の周波数と対応している。こうしてチベタン・パルシングは洗練されてゆき、新しいデータを集めはじめた。 

 その頃、私は映画制作者のバート・クライナという紳士と親しくしていたが、当時彼は、『シークレット・ライフ・オブ・ブラント(植物の神秘的生活)』という映画の制作中だった。私は彼の頭痛を治す手伝いをしていた。彼にセッションをやり続けていたある日、私がホールに入ると、私が知っているチャートが壁に貼ってあった。そこには私が研究していた円とラインを伴うすべてのパターンが描かれてあった。 

 私が茫然として立ちすくんでいると、タオルを手にしたバートがやって来て、大丈夫かと尋ねた。 

 「ええ、大丈夫です。ところでこのチャートはどこからやってきたんです? これは何なのです? これはどこにあるんですか?」 

 すると彼は言った。「ああ、チベットで行なわれている霊的修行を、あるリンポーチェが記録したドキュメントがあるんだ。これはそのドキュメントの映像の一部だが、これはチベットの僧院で弟子たちを指導するために用いられていたものだ」 

 こうしてチベタン・パルシングはチベット仏教と関連づけられるようになった・・・」